第2組・池田英二郎

第2組 坊守会学習会を開催

9月2日(金)午後2時より 大阪市天王寺区の宗恩寺(池田英二郎住職)において
第2組坊守会(藤原恵子会長/法山寺坊守)を開催し、
坊守・前坊守・若坊守9名が参加しました。

7月から始まる新年度の第1回目の学習会で、
講師に藤井善隆師(第2組即応寺前住職)を迎え、
『千万人の聖典シリーズ5 阿弥陀経に聞く』(伊東慧明著)をテキストに
お話しを聞かせていただきました。

新型コロナウイルス感染症対策のため、講義の後のティータイムは自粛しましたが、
今後の活動として ご門徒さんと一緒に集える企画立案に向けた意見交換を行い、
午後4時30分にお開きとなりました。

坊守会学習会

第2組で所長巡回を開催

8月18日(木) 大阪市天王寺区の光照寺(墨林浩住職)を会場に、大阪教務所長巡回を開催しました。

所長巡回に先立って午後5時より組会を開催し、続いて5時30分から所長巡回を開催しました。

教務所から4名と住職・寺族15名、門徒会3名が出席しました。
また、ZOOMによるリモート会議を併用して行い、住職3名がZOOMで出席しました。

教務所からの各種伝達の後、活発な質疑応答があり、午後7時20分に閉会となりました。

禿所長の挨拶

資料(『大阪教区通信』)

質疑応答

人権研修会を開催

2022年7月11日午後2時より、大阪市天王寺区の光照寺(墨林浩住職)にて「第二組人権研修会」を開催しました。

光照寺本堂

新型コロナウイルス感染症予防のために過去2年間開催できず、今年は時期を遅らせての開催となりました。

住職・坊守および門徒会員 12名が出席して、大阪企業人権協議会所属の講師から「コロナ禍での分断や差別問題」という講題で1時間のお話をいただきました。

《差別が生まれるのは、「ステレオタイプ」で物を見ることから「偏見」が生じ、
偏見が表面化・具体化したのが「差別」である》というメカニズムや、
コロナワクチン接種にまつわる差別・偏見・ハラスメント、
「自粛警察」および「自粛要請と同調圧力」といった具体的な社会問題の指摘
などの講義の後、活発な質疑が続き、予定時間をオーバーしてお開きとなりました。

 

『生命の足音 大阪教区教化センター研究紀要38号』発刊のお知らせ

YouTubeのリンクへ

大阪教区教化センターでは、年度末に研究紀要『生命の足音』を発行しています。

本日2022年6月30日付けで2021年度の研究紀要『生命の足音』38号が出る予定ですが、実はまだ印刷が上がっておらず、配本が遅れます。申し訳ありません。

さて、『生命の足音』38号に掲載される当「教学儀式研究班」の研究報告ですが、「本願寺の相伝について」という題になっています。
2020年12月25日にYoutube公開講座と銘打ち、「本願寺の相伝の歴史」という題でお話しした動画を公開していますが、
今回の『生命の足音』という本には、相伝の歴史だけでなく、相伝とはどういうものなのか、その全体像を明らかにできれば、という思いで纏めた文章を掲載しています。

また、『宗意心得之事』と『相承弁惑』という、相伝文書の翻刻を掲載しています。

なお、今回の教化センター紀要には、現代教学研究班の報告として「寺院・諸施設のバリアフリー研究Ⅳ -共生社会へのまなざし考-」が、教化研究班の報告として「『大無量寿経』に聞く(2) -本願文ノートと語彙」も掲載されています。
1冊1,500円で、真宗大谷派大阪教区教化センターから発刊されますので、是非お読みいただきたいと思います。

最後に、教化センター研究班の今後についてお知らせします。
大阪教区の教化体制の見直しが行われていて、その最後に「教化センター」の在り方について、抜本的な見直しが行われる事になりました。
教学儀式研究班を含む、これまで設置されていた研究班は全て休止となり、これから1年かけて新体制を考えて行くことになっています。
という事で、教学儀式研究班としての公式な活動はできなくなりました。
今後は「元・教学儀式研究班」として、Youtubeなどには解説動画を上げていきたいと思っております。

 

「聲明塾」第15期生が修了式を迎えました/第16期生募集中

2022年4月20日に難波別院において、大阪聲明塾 第15期 第二学年の最後の授業として「模擬法要」引続き「修了式」を行いました。

模擬法要(1)

模擬法要(2)

模擬法要(3)

修了式

第15期は、2019年7月に開講し、21年6月までの2年間のカリキュラムを予定しておりましたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、授業の延期・休講を余儀なくされましたが、このたび修了式を迎えることができました。塾生の皆さまにはご理解ご協力を賜りましたことを厚く御礼申し上げます。

今回、2年間の学びの集大成として、実際の法要と同様に装束(裳附・五条袈裟)をつけて「模擬法要」を難波別院本堂にてお勤めいたしました。
次第は、正信偈真四句目下 念仏讃淘五 和讃「弥陀大悲の誓願を」次第六首 回向「願以此功徳」 御文「大阪建立」でした。
各自が聲明塾で学んだことを活かし、精一杯お勤めしていただきました。

なお2022年7月よりは、大阪聲明塾 第16期が始まります。
現在、入塾申し込みの受付中です。(6月6日締切)
お申込み・お問合せは、大阪教務所までお願いいたします。

 

第2組報恩講 法話「あるべき と さるべき - 明恵上人と親鸞聖人 -」

2021年11月11日 午後2時より 大阪教区第二組の報恩講が 大阪市阿倍野区の即應寺(藤井真隆住職)で開催されました。
第2組報恩講 執行 – 真宗大谷派(東本願寺)大阪教区「銀杏通信」 (icho.gr.jp)

その時の法話の動画を公開いたします。
(↓下の画像をクリックすると YouTubeのページが開きます)

講師は山口知丈師(大阪教区第九組 昭徳寺住職)
講題は「あるべき と さるべき- 明恵上人と親鸞聖人 -」
です。

 

第2組 所長巡回を開催しました

8月27日 午後5時より 大阪市天王寺区の光照寺本堂にて、2021年度の大阪教務所長巡回を開催しました。

光照寺からインターネット(ZOOMミーティング)を利用したリモート会議を併用しての開催となりました。

光照寺会場では、隣りの席と隔てるパテーションを用いるなど、可能な限りの対策を行い、開催に漕ぎ着けました。

質疑で予定時間を超過したものの、緊急事態宣言発令中という事もあり会食は行わず、午後6時15分に閉会となりました。

『高僧和讃』講義録④を発刊

『高僧和讃 四』(大阪教区准堂衆会)

2021年6月1日、大阪教区准堂衆会(吉川知徳会長)では、延塚知道師の講義録『高僧和讃 四』(源信大師・源空聖人編)を発刊しました。(B5版 108頁)

当会では2009年から2013年にかけて研修会を開催し、延塚先生から16回にわたって『高僧和讃』の講義をいただきました。

この講義を広く公開するために、テープ起こしを行い出版したいと延塚師にお願いしたところ、ご快諾下さった上に、ご多忙にもかかわらず原稿に大幅な加筆をして下さりました。

全4巻からなる延塚師の高僧和讃の講義録ですが、今回の発刊は

第1巻の「高僧和讃 一」(2019年3月1日発行)の龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師編

第2巻の「高僧和讃 二」(2019年9月28日発行)の曇鸞大師編

第3巻の「高僧和讃 三」(2020年12月10日発行)の道綽禅師・善導大師遍

に続く最終巻となります。

2021年6月の全ヶ寺発送で、大阪教区内の全寺院に無償配付させていただきました。

本文

税込み・送料込み1,800円で頒布いたしております。
また完結記念で、第1巻~第4巻・全4冊を5,000円でセット頒布いたします(50セット限定)。
お求め・お問い合わせは真宗大谷派 大阪教務所までお願いいたします。

なお残部は僅かですので、品切れの際はご容赦ください。

また、この講義録は『高僧和讃講義(四)』の題で、方丈堂出版からも出版される予定です(税込み2,200円)。

サイズや装丁などが異なりますが、同内容となっております。

全4巻

『浄土和讃』講義録 (全1巻)を発刊

『浄土和讃講義』(大阪教区准堂衆会)

2020年12月10日、大阪教区准堂衆会(吉川知徳会長)では、藤井善隆師(大阪教区第2組 即応寺前住職)の講義録『高僧和讃 三』(道綽禅師・善導大師編)を発刊しました。(B5版 142頁)

准堂衆会では、会員向けの研修会として、藤井師から2009年4月から2015年6月にかけて、23回にわたって『浄土和讃』の講義をいただきました。

『浄土和讃』の全和讃にわたってご講義いただいた録音のテープ起こし原稿を元に、藤井師が「讃阿弥陀仏偈和讃」「大経和讃」「観経和讃」「小経和讃」から35首を選んで加筆・修正をして下さった抄録を出版させていただきます。

2021年1月の全ヶ寺発送で、延塚師の『高僧和讃講義 三』と共に、大阪教区内の全寺院に無償配付させていただきました。

若干の残部があり、税込み・送料込み1,800円で頒布いたしております。

 

本文

お求め・お問い合わせは真宗大谷派 大阪教務所までお願いいたします。

 

『高僧和讃』講義録③を発刊

『高僧和讃 三』(大阪教区准堂衆会)

2020年12月10日、大阪教区准堂衆会(吉川知徳会長)では、延塚知道師の講義録『高僧和讃 三』(道綽禅師・善導大師編)を発刊しました。(B5版 126頁)

当会では2009年から2013年にかけて研修会を開催し、延塚先生から16回にわたって『高僧和讃』の講義をいただきました。

この講義を広く公開するために、准堂衆会でテープ起こしを行い出版したいと延塚師にお願いしたところ、ご快諾下さった上に、ご多忙にもかかわらず原稿に大幅な加筆をして下さりました。

全4巻からなる延塚師の高僧和讃の講義録ですが、今回の発刊は

第1巻の「高僧和讃 一」(2019年3月1日発行)の龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師編

第2巻の「高僧和讃 二」(2019年9月28日発行)の曇鸞大師編

に続く、第3巻となります。

 

本文

2021年1月の全ヶ寺発送で、大阪教区内の全寺院に無償配付させていただきました。

税込み・送料込み1,800円で頒布いたしておりますので、お求め・お問い合わせは真宗大谷派 大阪教務所までお願いいたします。

なお残部は僅かですので、品切れの際はご容赦ください。

 

 

『高僧和讃講義(三)』(方丈堂出版)

また、この講義録は『高僧和讃講義(三)』の題で、方丈堂出版からも出版されています(税込み2,200円)。

サイズや装丁などが異なりますが、同内容となっております。

 

 

 

 

 

 

公開講座 ♯1「本願寺の相伝の歴史」 【動画】配信中です

本年4月16日に開催予定をしていた 大阪教区教化センター 教学儀式研究班の公開講座が、新型コルナウイルス感染症予防のため開催することができず、現在も収束に向かうどころか、さらなる感染拡大の様相を呈しております。

今後の開催のメドが立たない状況ですので、公開講座でお話する内容を収録した動画をYouTubeで配信いたします。

かつて本願寺には「相伝」の伝統がありましたが、江戸時代後期に断絶したため、あまり知られておりません。

教化センター研究紀要『生命の足音』で翻刻公開した『禀承余草』を読み解く際にも、相伝の知識があるとよく理解できると思います。

『真宗相伝義書』『真宗相伝叢書』を読み解くことで、相伝の内容を知ることができますが、まずは多くの方に関心を持っていただければと思い、第1回は「本願寺の相伝の歴史」という題で、相伝の大雑把な歴史を中心についてお話をさせていただきます。(約42分)

YouTubeへリンク

第2組報恩講 執行【動画】

2020年11月12日午後2時より、大阪市阿倍野区の即應寺を会所として、第2組20ヶ寺合同の報恩講が執行されました。

第2組報恩講 執行」で写真を紹介しましたが、今回は動画で当日の様子を紹介します。

2020年第二組報恩講 YouTubeへのリンク

YouTubeへのリンク

「未来は過去をとおし 果後の方便をとって」【南御堂2020年11月号より】

法務中、最近よく「未来がない」という話になる。とくに少子高齢化の問題等は、お内仏の返還や墓じまい、さらに宗教離れの話に発展し、「誰もみてくれる人がない」、「もう私で最後」と開き直りつつも、悲壮感漂う雰囲気になる。人は、時に思い通りにならない将来や未来に希望を見出せず不安になる。

生物の長い歴史の中でもっとも重要なのはいかに生き残るかである。生き残るために危険を回避し、対処するのが生物であるが、より不安定で変化の激しい環境の中でも適応できるのが哺乳類だそうである。哺乳類は多くの記憶を蓄えて、過去の学習によって未来予測行動ができる。その最も発達した生物が人間だそうである。

「未来がない」という話は、過去の記憶や経験、歴史を偲ぶことがない故に、未来を願い想像することも出来ないではないだろうか。

現に今自身が存在するのは、果てしない過去からいのちの歴史や願い、はかり知れない先達方のご苦労とお育ての賜物である。

「現在は 過去をとおして 未来する」、「未来は 過去をとおして 現在する」は、曾我量深師『時間論』の一節である。しかしその恩徳を忘れ、過去の歴史や願いを顧みずして我が想いで未来を求める。それは過去を見失い、未来を見出せず、現状を対処することに振り回され続ける我が身である。まさに人間を見失い三悪道に趣くべき姿である。

「弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまえり 法身の光輪きわもなく 世の盲冥をてらすなり」。阿弥陀仏が十劫もの過去に、すでに成仏して下さったお姿は、道に暗く迷いの衆生を照らし導かんと、往生を待ち望んで下さっているお姿である。その衆生往生せずは、われ正覚をとらじと、未来の衆生の救済を決定するために、法蔵菩薩となってご苦労の末に願を起こされた。その願いは成就して、すでに成仏しておられるのである。それは迷いの衆生ある限り、「いつでも」「どこでも」「だれにでも」、照らし続けて下さっている。

果後の方便をとって未来を約束して下さっている。

 教学儀式研究班研究員・北畠玄(『南御堂』2020年11月号掲載記事を転載)

「化仏を通して凡夫は阿弥陀の願に触れる」【南御堂2020年10月号より】

『大経』では阿弥陀がいかに佛となったのかが説かれている。法蔵菩薩が世自在王佛のみもとで修行し、凡夫救済のための四十八願をたてる。願を成就するために五劫思惟しついに成仏されたと言われる。一々の本願には「若不生者」と凡夫救済の為の願が成就されなければ、成仏しないと誓っておられる。しかし一向に私が救われたと自覚できない、むしろいかに自分が佛から遠い位置にあるのか思いしらされるばかりである。

この問題について『論註』には「火㮇の喩(かてんのたとえ)」として説明されている。薪に火をつけるのに火付けが薪より先に燃え尽きる。まだ凡夫は救われていないが、如来の慈悲をもって先に成仏したとされる。

これは私凡夫にとってどういう意味があるのだろうか。そこに阿弥陀如来が菩薩より佛に至る過程が説かれているのが、重要な意味を持つ。その過程そのものが、虚妄分別(こもうふんべつ)に囚われもがき苦しみどうにもにもならない私凡夫が開放される、無分別の世界に誘(いざな)われる過程そのものだからだ。

私は決して佛の世界など見当もつかない。もし佛とはこんなものだと理解ができるのであれば、それは覚(さと)ったということであり、覚った者には阿弥陀は無用である。分別の檻に閉じ込められている凡夫に無分別の如来が分別の姿形をとって、私にも分かるように阿弥陀如来が法蔵菩薩となって願を建て、五劫という長時間をかけ凡夫の業苦を除く方法を思惟(しゆい)された。

五劫の法蔵菩薩の御苦労は他ならない私一人のためであった。如来は私の前に様々な姿形で表れる。その一番の中心は善き人であろう、表れた佛は化仏(けぶつ)であろう、しかしその背景に阿弥陀がある。化仏を通して凡夫は阿弥陀の願に触れる。もし触れることができれば、阿弥陀如来が真のご本尊となる。

法蔵菩薩が願を成就して阿弥陀如来になられるのだ。阿弥陀如来が真如の世界から法蔵菩薩となり、私という凡夫を通して再度阿弥陀如来となられる。ご信心が凡夫の上に開発された瞬間であろう。その時が来るまで如来は凡夫に働き続ける。凡夫よ、お前どうかこの願に気づいてくれと。凡夫にとって気づくまでの人生の道しるべとなって下さっているのだ。

教学儀式研究班研究員・髙島章(『南御堂』2020年10月号掲載記事を転載)

 

【補足】
「火㮇」は「火擿」とも書き、木製の火箸のこと。曇鸞大師が『浄土論註』で説かれる火㮇の喩を、親鸞聖人は『教行信証』「証巻」(『真宗聖典』293頁)に引用されている。

「機辺から説く学寮 仏辺から説く相伝」【南御堂2020年9月号より】

教学儀式研究班で翻刻を行い、大阪教区教化センター紀要『生命の足音』第34号~第36号において発表した『三十七則御糺選要』からは、高倉学寮の講師である香月院深励たちは仏恩報謝の口称念仏を勧めていた事が知られます。

信心を得た者は、この一生を終えれば必ず往生することが定まっていることを喜び、報謝の念仏を唱え、報謝の勤行声明を勤めるのであるという香月院たちの主張には問題があります。お念仏を申す身となるという目標を人々に持たせ、感謝の念仏が自然と出るまで聞法しなさいという命令になります。

また、お念仏を申す身になる事で信心を得た事を証明しようとしてしまいます。念仏を往生の業としていないから自力では無いと考えているのでしょうが、往生を保証してくれる如来を脳内で作り上げて、拵えものの如来に喜びの念仏を捧げる信者になろうとしているのではないでしょうか。

高倉学寮が説く仏恩報謝の口称念仏に対して、「相伝」は厳しい批判を展開します。(※相伝については、「本願寺の相伝に学ぶ」で紹介しています。)

『浄土文類聚鈔』に「称名はすなわち憶念なり、憶念はすなわち念仏なり、念仏はすなわちこれ南無阿弥陀仏なり」(真宗聖典403頁)という親鸞聖人の御自釈があります。相伝(相伝義書の『略本私考』)は、この文は「口称の一辺におちざるようにと顕わしたまえる御釈なり」とし、「当流の称仏名はただ口にうかうかと唱うることにはあらず、本願に相応するがまことの讃嘆称仏なり」と説きます。

相伝は、念仏が機辺からの口称念仏であると限定しません。相伝が繰り返して説くのは、阿弥陀如来が衆生のために「南無阿弥陀仏」と示し現れた念仏であるという事です。

念仏を口に唱えられる身となったかどうかについても、全く問題にしません。それどころか、恩を得た御礼に唱えるような念仏を、心根が自力であると批判します。

このように、『三十七則御糺選要』からは、仏辺から説く相伝と、機辺から説く高倉学寮の相違点が見て取れます。

教学儀式研究班主任研究員・池田英二郎(『南御堂』2020年9月号掲載原稿を一部修正しました。)