問い

葬儀が終わって四十九日間は、神社の鳥居をくぐったり、神棚を拝んだりしてはいけませんか。また、結婚式に出席してはいけませんか。

答え

 仏教徒は、「三宝(仏(ぶっ)・法(ぽう)・僧(そう))に帰依(きえ)することを旨(むね)とし、それ以外のものは拝む必要がない」と教えられています。さらには「三宝に帰依するならば、他の教えに心動かされてはならない。天を拝んではならない。鬼神(きじん)を祠(まつ)ってはならない。日の良しあしを視てはならない。」と誡(いまし)められています。

 特に、浄土真宗の門徒は「ただ念仏して弥陀に助けられる」身になれば、神社に詣ったり、家の内に神棚を祠って拝んだりする必要は全くなくなるわけです。従って、真の念仏者の家には、お内仏に阿弥陀一仏を安置するだけで、神棚や他の信仰の対象になるものは置かないのです。

 しかし、自分の信念だからと言って回りの人が敬虔な気持ちで神社に参拝しているのを罵倒したり、嘲笑したりすることは許されません。社会生活の上では、宗旨の違う葬式や儀式に参加する場合も多々あります。この場合は、社会人としての立場と、真宗門徒としての立場を保たなくてはなりません。社会人としては、あくまで相手の信奉する宗旨の儀式を尊重すべきでしょう。とはいっても、真宗門徒が、神社に行って柏手(かしわで)を打ったり、日蓮宗の葬式に行って題目を唱えたりすることは、無節操(むせっそう)な行為であり、かえって相手に失礼になるでしょう。

 身内の人が亡くなって四十九日間は、神社の鳥居をくぐったり、神棚を拝んではいけないということを聞きます。しかし、これは神道の側から、「死」を「けがれ」と見て嫌われるために、鳥居をくぐってほしくないと拒まれるだけであって、こちらとしては鳥居をくぐろうが、くぐらまいが、別に何の障(さわ)りもないのです。

 また、中陰の間の結婚式も、「けがれ」を嫌うという同じ意味で神前結婚式への出席を拒まれる場合があるのであって、披露宴だけの出席なら問題はありません。こちらとしては、宗教的な問題は何もありませんから、先方から結婚式に是非に出席してほしいとの案内であるならば、出席して何らさしつかえありません。

 「本願を信じ念仏申す」自分に落ち着くことができれば、余の神仏を拝む必要もないことがわかり、また社会生活のお付き合いの上では、「内心に深く仏法をたくわえ」て、争わず、犯されず従ってゆくこともできるでしょう。

(本多惠/教化センター通信No.18)

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Last modified : 2014/12/09 6:16 by 第12組・澤田見(ホームページ部)