ちょっと聞いてこ「本尊について」【しゃらりん34号】

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本尊について/沖野頼信さん

真宗大谷派の本尊は「阿弥陀如来」です。
その「本尊」の持っておられる願いごとを「本願」といい、本願を聞いて救われるのを「信心」といいます。
真宗では願いごとをするのは阿弥陀如来の側であって、人間はその願いを聞く側です。
自分で願い事を作って、仏様にその願いを叶えてくださいと頼んだりはしません。
なぜなら、そんな自分で作った願い事は、欲望の満足を願っているだけだからです。
しかし第十八番目の本願で、阿弥陀如来から教えていただいた、一つの「願い事」だけは例外です。
それは、「欲生我国」(極楽浄土に生まれたいと欲する)です。
この願い事をしたあとは、修行をします。
「乃至十念」(まあ大体十回ほど、お念仏を称える)です。南インドの龍樹菩薩はこの修行を易行と言われました。
本来仏教はこの世の真実を顕らかにするものです。それを「悟りを開いた」といいます。
それで、お釈迦さんはそのために三つの法を説かれました。それを「三法印」といいます。
これを説く宗教を仏教といい、これを説かない宗教は仏教ではない、という意味です。
まず最初の法は「諸行無常」です。これは神様も仏様も、それから私も「この世を思いどおりにはできない」という意味です。仏花がそれを表しています。
次の法は「諸法無我」で、この世を客観的に見れば「良いも悪いもないよ」です。お燈明がそれを教えています。
最後の法は「無為涅槃」で、「欲望が無くなって、死んだも同然」という意味で、楽になった状態です。お香がそれを語っています。
初期の仏教は欲望を無くする方法を教えてくれていました。
龍樹菩薩は「無我」の代わりに「空」を教えてくださいました。空とは「無意味」とか「空っぽ」とかいう意味で「良いも悪いもない」世界を表しています。
天親菩薩は無我や空の代わりに「浄土」を教えてくださいました。浄土とはプラス思考やマイナス思考で汚染されていない浄い世界、この世の真実の姿のことです。
最後に阿弥陀如来の「如来」とは良いとか悪いとか好きとか嫌いとかなどの「形容詞」で飾られる以前の「そのまんま」の世界から来た人、そこへ私たちを連れていく人です。

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****** 2019年02月07日 (木) 17:14
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