身近な「死」について考える

藤澤隆章先生(大阪教区第16組 泉證寺住職)を囲んで、大阪の20代の若者3人が身近な「死」について話し合いをしました。

現代は、いろいろ便利なものが自分の周囲を取り囲んで本来の姿が見えにくくなっているのかもしれません。そんな中では、「死」といっても観念的になって、なかなか実感が沸かないのも無理のないことなのでしょう。ましてや自分の死については、本当に現実味を帯びてこないのは当たり前です。
今回は、家族や友人の死を体験したことがあるかどうか、もしそういう身近な死を体験したことがあるのなら、その時どんなことを感じたのかをいろいろお聞きしました。

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藤澤先生は、指摘なさいます。たとえばお葬儀の時に行うお骨拾い、最近子供たちを連れて行かないケースがちょくちょく見られる、確かに残酷なことかもしれない、しかしおじいちゃんやおばあちゃんのお骨を拾うことで、人間が死んだらどんな姿になるのか、子供たちが目にすることは非常に大事なことだと。ほんの少しまえまで人間の姿をしていたものが、まったく違う姿となってしまう。その時に「死」に対する恐れや畏怖といったような様々な感情が子供たちを育てていく。

私たちは、頭では自分も死ぬことはよくわかっています。しかし、日常生活の感覚の中では、永遠に生きているのではないでしょうか。本当は明日死ぬかもしれないのに、そんなことはどっかにほっぽりだしておいて次の休日のプランを平気でたてている、ひょっとしたら次の休日はこないかもしれないのに。

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Last modified : 2015/02/24 10:59 by 第12組・澤田見(ホームページ部)