わいわい広場2

現在は、ご意見募集は締め切っております。


編集者 2003.7.8

まだ、Part 2『自殺』の本編はまだ計画中ですが、自殺をテーマにした投稿を頂きました。そこで、とりあえずPart 2のわいわい広場をアップします。
先にこういう投稿を頂くとことで、逆に皆さんのご意見が本編に反映されることになります。こちらの方もどしどし、投稿をお願いします。


ハルナ 2003.7.8

「自殺」についてですが、私は自殺も病死と同じく「寿命」がつきたのだと考えています。体の力が尽きて死ぬのと、心の力が尽きて死ぬのとは同じことです。ですから「いい・悪い」という観点で判断するのはおかしいと思うのです。自殺する人も病気や事故で死ぬ人と同じで「もっと生きていたかった」のです。でも、生きていけなくなった、そうすると選ぶ道は「死」しかないので、仕方なく「死」を選ばざるをえなかった結果が「自殺」です。
「死ぬ気になればなんでもできるはず」なんて真っ赤なウソであることは、想像力のある人ならわかるはずです。「理由がわからない」「どうしてそんなことくらいで」と疑問に思われる自殺もありますが、本人の心のエネルギーがいろいろな事で消耗していて、何が致命的だったのか本人にもわからないケースなのではないかと思います。しかし心の生きるエネルギーが尽きたことに変わりはありません。
よく「命を粗末にして」とも言われますが自殺する人はとっくに他人から命を粗末にされている。人間というのは他人の心がどのような事で消耗していくかわからないのです。自分では相手によかれと思ってやったり言ったりすることも、相手にとっては非常に傷つき心をすり減らす場合もよくあるのです。そして人の中には、人間の中で普通に生きていくだけでとても心をすり減らす種類の人・「生きていきにくい人」というのも大勢存在するのです。
また自殺する人を救うというのは不可能に近いです。奇跡的な例外はあるかもしれませんが、その場しのぎしかしてあげることはできません。その人の代わりに生きてあげるということはできないのですから。もちろん、もし私の知る人が自殺しようとすればできる限りのことをしてとめますが、その人の抱える荷物を一生私が代わりに持つことはできないのです。
私自身、OD(薬を大量に飲むこと)による自殺未遂を10回以上やっていますが、私の場合は「生きていけなくなったので死ぬ」という選択ではなく、「生きることを少し休みたい、でないと私は本当にダメになってしまう。もし死んでしまってもそれはそれでしょうがない」という選択からやっていることです。言いかえればもう少し生きていくために、ギリギリのところで自分をとり戻すためにやっているのです。これで人に迷惑をかけていることは承知のうえです。ICUから私だけ元気になって退院していく時、なんともいえない気持ちにもなります。でも誰かが誰かの代わりとなることは絶対にできない。実際、死にかけたことは何度かありますが、「あの時死ななくてよかった」と思うこともあれば「死んでいればよかったのに」と思うこともあります。
私はもう長い間、鬱病と診断されているので、そうでない人とは比べることができないかもしれませんが。ただ、私は幸せなことがたくさんあっても「生きる」というだけでしんどさを感じているのはたしかです。また「生きていずれ死ぬ」ことの虚無感も生涯消えないのかもしれません。別に私は今深刻な悩みはありませんが、それでも「今日1日どうにかして生きよう。明日のことはまた明日として」と思いながらなんとか生きています。だから自殺した人には「よくがんばったね。もういいんだよ」と言ってあげたいです。この世に命が尽きるまで、できれば生きていたいと願わない人は存在しません。自殺した人もそう願っていたのです。


明慧 2003.7.12

『自殺』とは・・・・・
よほど思い余ったところからそう思うのでしょうか?
私の友人が不意に失踪した事がありました。付き合っていた彼も「心当たりないし」ということだった。家族にも何も言わずに。そうなるともしかして誰にも何も言わず「自殺」をする気ではないのかな?とも思ったりもします。彼女の場合は3週間ほどで自宅に戻りました。でも結婚の事で反対されてるようだし、もしかしたら妊娠したもので自分ひとりで考えてるかもなどと職場では不謹慎極まりない事を言い出してある日みんなの前に現れたときは今までとなんら変わらない顔して「おはよう」と言いますからね。

まあそんなこんなでその人は元気になって結婚もしたわけですけどどうしてそういう行動とったのか謎のまますぎてました。おそらく「死」というものをどう思ってるのかしら?
私は持病があります、体に異変があればとても心配です。怪我ひとつをとっても「痛々しくかわいそう」と思うのです。だから私はどんなに苦しくなっても「自殺」はできないと思います。私は死んでもいいと思う心、なのに体は拒絶してます。生きれるだけはなんとしても生きたいのが体からの「願い」ではないかしら。人生誰だって口には出さないけど「死んでしまいたい」と思う事など何十回とも考えるものですよ。でも、死んでしまったら・・・・それにうまく死ねるかどうかわからないでしょう。せっかく人として生まれたのですから「まっとう」したいですね。時期がくれば病気や事故で死ねる身なのですから。


編集者 2004.9.18new

大変長らくお待たせしました。やっと本編ができあがりました。
作成するにあたって、スタッフ間でいろいろ討論しました。『自殺』というテーマは本当に重たいです。結論はありません。『自殺』を考えることは自らの命を振り返るということです。人それぞれ背負っているものが違います。かりに一つのケースで一つの結論が出たとしても、次のケースではまったくあてはまらない、人はそれぞれ自分の命を生きているのであって、他人の人生を生きることができないからです。
今回、そういう事実を踏まえ、仏教の中にヒントを求めました。内容は仏教の出発点、出発点であるからこそ、最後の目標となるのではないでしょうか。日常の生活を通して、ご一緒に考えていきたいと思います。

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Last modified : 2014/01/26 14:32 by 第12組・澤田見