云何が顛倒せざる、法性に依て二諦に順ぜるが故に。云何が虚僞ならざる、衆生を攝して畢竟淨に入らしむるが故にと。「説願偈捴持 與佛敎相應」は、持は不散不失に名く。捴は少を以て多を攝するに名く。偈の言は五言の句數なり。願は往生を欲樂するに名く。説は謂く諸の偈と論を説くなり。捴じて之を言ふに、願生する所の偈を説て、佛經を捴持して佛敎と相應なり。相應とは譬ば凾と蓋と相ひ稱へるが如しと。
觀彼世界相 勝過三界道
此より已下は是れ第四の觀察門なり。此の門の中に分て二の別と爲す。一には器世間莊嚴成就を觀察す。二には衆生世間莊嚴成就を觀察す。此の句より已下「願生彼阿彌陀佛國」に至るまでは、是れ器世間莊嚴成就を觀ずるなり。器世間を觀ずる中に、復分て十七の別と爲す、文に至て當に目くべし。此の二句は即是れ第一の事なり、名て觀察莊嚴淸淨功德成就と爲す。此の淸淨は是れ捴相なり。佛本と此の莊嚴淸淨功德を起したまふ所以は、三界は是虚僞の相、是輪轉の相、是无窮の相にして、蚇 尺音 蠖 屈まり伸ぶる蟲なり一郭反 循環するが如く、蠶 才含反 繭 蠶衣公殄反 自ら縛わるるが如くなり、哀れなるかな衆生此の三界顛倒の不淨に締 結不解帝音 わるるを見そなわして、衆生を不虚僞の處に不輪轉の處に、不无窮の處に置て畢竟安樂の大淸淨處を得しめむと欲しめす。是の故に此の淸淨莊嚴功德を起したまふなり。成就は、言ふこころは此の淸淨は破壞すべからず汚染すべからず。三界は是れ汚染の相是れ破壞の相の如くには非ざるなり。「觀」は觀察なり。「彼」は彼の安樂國なり。「世界相」は彼の安樂世界の淸淨の相なり、其の相、別に下に在り。