「敕大目連等從空而來」と言ふは、此れ夫人の請に應じたまふことを明す。「佛從耆山沒」と言ふは、此れ夫人宮内の禁約極めて難し、佛若し身を現じて來り赴きたまはば、恐畏らくは闍世知聞して更に留難を生ぜん。是の因縁を以ての故に須く此に沒して彼に出でたまふべきことを明す。「時韋提禮已擧頭」と言ふは、此れ夫人敬を致す時を明す。「見佛世尊」と言ふは、此れ世尊宮中に已に出でて夫人をして頭を擧げて即ち見しむることを致すことを明す。「釋迦牟尼佛」と言ふは、餘佛に簡異す。但諸佛は名通じ、身相異ならず、今故らに釋迦を標定して疑無からしむ。「身紫金色」と言ふは、其の相を顯し定む。「坐百寶華」と言ふは、餘座に簡異す。「目連侍左」等と言ふは、此れ更に餘衆無くして唯二僧のみ有ることを明す。「釋梵護世」と言ふは、此れ天王衆等、佛世尊の隱れて王宮に顯れたまふを見て、必ず希奇の法を説きたまふべし、我等天人韋提に因るが故に未聞の益を聽くことを得んとて、各々本念に乘じて普く空に住臨して、天耳遙かに飡して華を雨らし供養することを明す。又「釋」と言ふは即ち是天帝なり。「梵」と言ふは即ち是色界の梵王等なり。「護世」と言ふは即ち是四天王なり。「諸天」と言ふは即ち是色・欲界等の天衆なり。既に天王の佛邊に來り向へるを見て、彼の諸の天衆亦王に從ひて來りて法を聞きて供養するなり。
四に「時韋提希見世尊」より下「與提婆共爲眷屬」に至る已來は、正しく夫人頭を擧げて佛を見、口言に傷歎し怨結の情深きことを明す。「自絶瓔珞」と言ふは、此れ夫人身莊の瓔珞、猶愛して未だ除かず、忽に如來を見たてまつりて羞ぢ慙ぢて自ら絶つことを明す。 問て曰く。云何ぞ自ら絶つや。答て曰く。夫人は乃ち是貴中の貴、尊中の尊、身の四威儀に多くの人供給し、著たる所の衣服皆傍人を使ふ。