此等は難行の行已に過ぎ、三祇の劫已に超え、萬德の行已に成じ、潅頂の位已に證せり。行者等既に念知し已りなば、即ち自ら思念すべし。我が身無際より已來、他と共に同時に願を發して惡を斷じ、菩薩道を行じき。他は盡く身命を惜しまず。道を行じ位に進みて、因圓かに果熟して聖を證せる者、大地微塵に踰えたり。然るに我等凡夫、乃至今日まで虚然として流浪す。煩惱惡障轉轉して增々多く、福慧は微微たること、重昏に對して明鏡に臨むが如し。忽ちに此の事を思忖するに、心驚きて悲歎するに勝へざる者をや。
七に「回向發願」より已下は、正しく各各に前の所修の業を回して、所求の處に向ふことを明す。
八に「具此功德」より已下は、正しく修行の時節の延捉を明す。上一形を盡し、下一日・一時・一念等に至る。或は一念・十念より一時・一日・一形に至る。大意は、一び發心して已後、誓ひて此の生を畢るまで退轉有ること無し。唯淨土を以て期と爲す。又「具此功德」と言ふは、或は一人にして上の二を具し、或は一人にして下の二を具し、或は一人にして三種盡く具す。或は人有りて三種分無きを、名けて人の皮を著たる畜生と作す、人と名けざるなり。又具三・不具三を問はず、廻して盡く往生を得。應に知るべし。
九に「生彼國時」より下「往生彼國」に至る已來は、正しく命終の時に臨みて、聖來りて迎接したまふの不同、去時の遲疾を明す。即ち其の十一有り。一には所歸の國を標定することを明す。二には重ねて其の行を顯して決定精懃の者を指し出すことを明す。亦是功德の強弱を校量す。三には彌陀化主の身、自ら來赴したまふことを明す。四には「觀音」より已下は、更に無數の大衆等、皆彌陀に從ひて行者を來迎することを顯すことを明す。五には寶宮衆に隨ふことを明す。六には重ねて觀音・勢志共に金臺を執りて、行者の前に至ることを明す。七には彌陀光を放ちて、行者の身を照らしたまふことを明す。八には佛既に光を舒べて照らし、