依觀經等明般舟三昧行道往生讚 一卷

比丘僧善導撰
敬ひて一切往生の知識等に白さく、大に須く慚愧すべし。釋迦如來は實に是慈悲の父母なり。種種の方便もて、我等が無上の信心を發起せしめたまふ。又種種の方便を説きて、敎門一に非ざることは、但我等倒見の凡夫の爲なり。若し能く敎に依て修行せば、則ち門門佛を見、淨土に生ずることを得ん。若し人有りて善を行ずるを見聞せば即ち善を以て之を助けよ、若し人有りて敎を行ずるを見聞せば之を讚めよ、若し人ありて行を説くを聞かば即ち行に依て之に順へ、若し人ありて悟ること有るを聞かば即ち悟に依て之を喜べ。何の意ぞ然るとならば、同じく諸佛を以て師と爲し、法を以て母と爲して生養し、共に同じく情親みて外きに非ざればなり。他の有縁の敎行を輕毀し、自の有縁の要法を讚ずることを得ざれ。即ち是自ら諸佛の法眼を相破壞するなり。法眼既に滅しなば、菩提の正道、履足するに由無し。淨土の門、何ぞ能く入ることを得ん。傷歎して曰く。生盲にして業に信せて走る、業に隨へば深阬に墮す。此の貪瞋の火を縱にして、自ら損じ他人を損じ、長く無明の海に沒して、木に遇ふこと永く縁無し。行者等必ず須く一切凡聖の境の上に於て、常に讚順の心を起して、是非慊恨を生ずること莫るべし。何が故ぞ然るとならば、自ら身口意業を防がんが爲なり。恐らくは不善の業起らば、復是流轉すること前と異なること無けん。若し自他の境の上に三業を護り得て、能く淸淨ならしむれば、即ち是佛國に生ずる正因なり。 問て曰く。既に三業淸淨にして、是淨土に生ずる正因なりと道はば、