真田山陸軍墓地へ行ってきました

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先日、第十二組人権部会のフィールドワークとして、真田山陸軍墓地を見学、お参りしてきました。墓地は玉造の駅からすぐ近くにあります。都会の真ん中にこんな場所があったなんてと驚きながら訪れました。

入口には案内板が立っています。以下引用します。

 本墓地は、一八六九年(明治二年)から一八七〇年にかけて我国陸軍の中枢機関が次々と大阪に創設されたことに伴って、一八七一年(明治四年)に日本で最初に設置された陸軍墓地で、現在の面積は約一五、〇九〇平方メートルあります。
このような陸軍墓地は戦前、全国で八〇箇所以上つくられましたが、それらの中で最も大きな規模を持つ真田山陸軍墓地は終戦当時の景観をよく残していると言われています。
終戦に伴い一九五四(昭和二十年)十二月陸軍省が廃止され、大蔵省の管理する国有財産となりましたが、一九四六(昭和二十一年)に大蔵省との国有財産無償貸付契約により、貸付を受けた大阪市が管理をし今日に至っています。
墓地内には、一八七三(明治六年)の徴兵令施行以前に属する兵士の墓碑にはじまり、西南戦争や日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦を経て、先の大戦終結後に設置された墓碑も含め、約五、一〇〇基の個人墓碑、日露戦争・満州事変戦病没将兵合葬墓並びにアジア太平洋戦争の戦病没将兵約八、二〇〇人の遺骨等を納めた納骨堂があります。また、軍役夫や日本軍の捕虜となった清国兵、ドイツ兵の墓碑、及び兵役従事中の平時病死者の墓碑もあることがこの墓地の特徴となっています。
これまで二回にわたり研究者による大掛かりな墓碑や納骨堂をはじめとする当墓地に関する学術調査が行われ、多くの貴重な事実が判明いたしました。
当墓地では、大阪市と締結した確認書に基づき公益財団法人真田山墓地維持会が、毎年十月に埋葬・納骨せる戦没者の慰霊祭を行うほか、特定非営利活動法人旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会による当墓地に関する調査・研究、資料の公開や見学者に対する案内等、多くのボランティアの皆様に支えられながら、墓地の除草・清掃を行い環境維持活動や痛んだ墓碑の修復・保存のための事業を行っています。
ここを訪れる方々は、整然と並んだ多くの将兵の墓碑にまず圧倒され、そしてそこに刻まれた文字を読み取るとき、必ずや平和の尊さを実感されるものと存じます。

二〇一四年(平成二十六年)三月

公益財団法人 真田山陸軍墓地維持会 理事長 吉川秀隆

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まずは集会所でお話をお聞きし、その後実際に墓地をぐるりと案内していただきました。文字も薄れ、表面が剥落し書けた古びた墓碑が、整然と並ぶ姿は、まさに案内板に書かれていたとおり圧倒されました。明治維新の軍隊創設期から西南戦争、日清日露戦争などの時代の個人墓には、いわゆる軍属の一般人や、ドイツ人、清国人の俘虜(捕虜)の墓もまじっています。戦死した人だけではなく、病死や事故死などなぜその人が亡くなったのかということも、墓石の側面に書いてあるものもあります。戦地に赴いても鉄砲の弾や爆弾で死ぬ人ばかりでなく、病や事故で亡くなった方もたくさんいらっしゃいました。

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その後、第二次世界大戦中に建てられた納骨堂を見学し、お参りしてきました。戦争が末期になるにつれて納めているお骨は逆に少なくなり、あったとしても例えば珊瑚のかけらが入っているだけなど、激しく、きびしくなっていく戦争が感じられ、改めて平和のありがたさを思った次第です。

大阪の都心部にあって、静かに戦争の悲惨さ、平和の尊さを知ることのできるこの陸軍墓地。みなさまもぜひ見学に行ってみてはいかがでしょうか。

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