とらわれの心、自力の心

 それを、

人の執心、自力の心は、よくよく思慮あるべしと思いなして後は、経読むことは止りぬ。(聖典六一九~六二〇頁)

と言っています。「執心」というのはとらわれの心です。こうしなきゃならない、ああしなきゃならない。あるいは、これは良いこと、これは悪いこと。これは取り除くべきこと、これは手に入れるべきこと。いろいろあると思いますが、とらわれの心です。これが残っていたと言っています。「自力の心」のほうは、これは私がなんとかしてやらないといけない、私ならできる。逆もありますね。私はぜんぜんダメだというほうに固まっている場合もありますけれど、自分で自分のことを量っているあり方です。それは「よくよく思慮あるべし」、このことをよく考えなきゃならない、よくよく思わなきゃならないと。

 風邪の熱にうなされ寝ついている中で、二日目からずっと私がなんとかしなければいけない、私が助けてあげなければと、それをお経の力を借りてと思うから、『大経』が一文字残らず出てきた。二十九歳の時に念仏ひとつで決着したはずの親鸞聖人、またもう一度、四十二歳になって捨てたんですよ。でもそれが十七年経って出てくる。このあとはどうだったんでしょうか。もうここでいよいよ自力は卒業したと見る人もいます。でも私はそうは思いません。

 親鸞聖人は命終わる時まで「愚禿釋親鸞」、愚かな私と名のってくださった人です。愚かというのは、自分中心にしか考えらないということです。やはりいくつになろうが自分の思いが正しくて、それにあうものを良しとし、あわないものを敵だと見なしていく心を持っているんです。親鸞聖人はそういう自分だということを見ておられますので、五十九歳で終わった話ではないと思います。その「人の執心、自力の心」をいよいよ見つめ続けていかれたのが、親鸞聖人なのではないでしょうか。

 私たちは日頃、とらわれの心や自力の心で生きているのですが、それを問題とも思っていないのです。仏法を聞くところに、あるいは南無阿弥陀仏に遇わせていただくところに、ここに問題があったんだということが見えることがスタートだと思うんです。日頃は執心も自力の心も問題にすら思わない。相手のほうがおかしいと思う。「なんであいつは」と言って。

 私ももう三十年も学生の前に立ってしゃべらせてもらっていると、いろいろなことが慣れてきたりするんですよ。パターン化して応答しようとしたりすると、通じないことがあるんです。そんな時に「ああ、パターン化なんかできないなあ」とすぐに思えればいいんですけど、「他の学生はスッと聞いてくれたのに、こいつはなんでや」とかね、「去年はうまくいったのに、なんで今年は」みたいな、そういう根性が湧くんですよね。ひとりひとりの人間、年も違えば、考え方も感覚も違うんですよ。それをこのパターンでかかわればなんとかなるなんて言えるはずないのに、全部固定化していくんですね。それで届かないのは相手のせいだと思ってるわけです。本当は「あなたの言い方はわかりません」って言ってもらっている。そうしたら、どうしたらいいのか、もうちょっと深く親鸞聖人にたずねていかないといけないなという大事なチャンスをもらっている話なんですけども、自分のほうは良しとして、それで裁くんですね。

 これを親鸞聖人は愚かと教えてくださってると思うんです。五十九歳でもう量らなくなったとか、とらわれの心が消えましたなんていうことは、おっしゃらないと私は思います。

さて、臥して四日と申すあか月、今はさてあらんとは申す也」と仰せられて、やがて汗垂りて、よくならせ給いて候いし也。(聖典六二〇頁)

 そして、「だから今はこうしておこうと言ったんだ」とおっしゃって、そこから、熱も下がっていったというんですね。

 それをまとめて言っているのが、最後の文章です。

『三部経』、げにげにしく、千部読まんと候いし事は、信蓮房の四の年、武蔵の国やらん、上野の国やらん、佐貫と申す所にて、読みはじめて、四五日ばかりありて、思いかえして、読ませ給わで、常陸へはおわしまして候いしなり。(聖典六二〇頁)

 これは恵信尼様の文章です。この三部経を千部読誦されようとしたのは「佐貫」というところだったと。群馬県の邑楽郡佐貫というところなんですが、まあ本当に武蔵国とも、下野国とも接しているようなところです。そして「常陸へはおわしまして候いしなり」ですから、今度は茨城県のほうに出向いたと、こういうことです。

 二十九歳の時に、「生死出ずべき道」、善し悪しを量っていることから解放される道をいただいた。これが法然上人との出会いの中身なんだということを言いました。これがいろいろな状況が起こってくる中を、なおも生き抜いていく道が見えてくる筋道だと思います。しかしそれは、一回見つかったらあとは大丈夫という話ではないということですね。やっぱり現実問題、人間関係の中で、今まで見えていたことがぶれていくことが、親鸞聖人でもあったということです。それを恵信尼様がきちっと書いてくれているということが、私は大事だと思うんです。

 なぜ書かれたのかというと、娘の覚信尼様は「お父さんほんとに往生したの」ということを聞いている。死に方にもちょっと引っかかりがあったのかもしれません。あるいは信心決定したらもう迷わなくなる、愚痴を言わなくなる、文句も言わないような人間になるというように、娘の覚信尼様は思っていたのかもしれない。ところが教えによって歩んでいくことが決まっても、人間は揺れ動くのですよ。これを言っておかないといけないというのが、お母さんのこの第五通目を書き記したお心じゃないかなと私は思うんです。その前にも一回「二月十日」っていう日付がありますから、そこで終わっても良かったんでしょうが、これも言っておかないといけないということです。

 信心決定したらいつでも晴れているようなイメージ、問題がない人生が一本道でつながっているようなイメージをお持ちの方は非常に多いです。しかし信心決定とはなにかと言ったら、自分はとらわれる心で振り回されておるなあ、自分が自分がという心で生きておるなあということが問題だったということがはっきりするということなんです。

 そこに意見があわない人とも、関係の中で共々に語りあっていったり、確かめあったりすることが起こる。そうしたら関係が広がっていきますよね。これが阿弥陀仏が照らし出してくださる繋がりなんだと思うんですよ。この「執心」とか「自力の心」で繋がると、都合の悪いものは排除して、都合の良いものばかり寄せるわけです。大きなグループもできるかもしれませんが、それは意見があわない人を入れないような集まりになってしまいます。それは仏法の僧伽でも何でもないですね。ただ利害が一致している関係だと思います。

 それが問題だということがはっきりしたというところに、いよいよ本当に教えを聞いていくことが開かれるのであって、それを娘はひょっとしたら勘違いしているかもしれない。信心獲得したら、あるいは念仏ひとつで決着したら、もう愚痴も言わないような完璧な人間が誕生すると思っているんじゃないかということを思われて、恵信尼様はこの文章を足していったんだと思います。

 だから一言で言えば、信心決定しても迷う時は迷うということですよ。ウロウロするんです。しかしそれがいよいよまた、阿弥陀仏の教えに帰っていく、あるいは法然上人からいただいた世界に帰っていく縁になるわけです。そうなれば、戸惑うことも、いろいろな問題の中で泣き叫んだりわめいたりすることも、ダメなことじゃないんですよ。それもまた大事なことを確かめていくご縁だと思います。

 今日いただいたテーマで言えば、「コロナの中でもたくましく生きられる私になる」みたいなイメージがあるかもしれませんが、そうではなくて、泣き叫ぶ時もあると思うんですよ。実際、親鸞聖人は三部経千部読誦やめたら、一緒に泣くしかないんじゃないですかね。私がなんとかしてやるという時には華々しい、お経の力でこの状況を打破してやるといった時に勇ましいけれども、「いやあ私の力では退散できないです。飢饉や疫病どうもできません」と言うなら、ある意味で敗北といえば敗北かもしれませんが、ここに一緒に悩む、友としてという道は与えられるのではないでしょうか。そこに立たれているのが、共に凡夫として生きられた親鸞聖人ではないかと思います。

他力の信心うるひとを

 最後に親鸞聖人が私たちのことを讃めたたえてくださるお言葉をふたつほど見ておきたいんですが、ひとつは報恩講の御満座で必ず読まれる御和讃です。

他力の信心うるひとを
 うやまいおおきによろこべば
 すなわちわが親友とぞ
 教主世尊はほめたまう (聖典五〇五頁)

 「他力の信心」ですから、阿弥陀仏によって大事なことを知らされながら生きていく、そういう信心を得た人を、「うやまいおおきによろこべば」と書いてありますが、これは前にかかっていまして、他力の信心を得るところに、仏法を敬いあるいは教えを大事にして喜びを持って生きていくとつながります。「他力の信心をうる人は、敬いおおきに喜んでいるので」と読んだらいいと思います。それを「すなわちわが親友とぞ 教主世尊はほめたまう」、お釈迦様は私の親友だと讃めてくださるということです。

 弟子とは言わず、私の親友だとおっしゃる。なぜかというと、仏法をいただきながら、いろいろなことがあるこの世の中を生き抜いてくださるからです。「私と同じような仕事を担ってくださる」とおっしゃっているのです。それは影響力とか、上手にしゃべれるとか、そういうことはお釈迦様とは比べものにならないでしょう。しかし仏法がなかったら、私たちはとらわれの心か自力の心に振り回されるしかないのですから、それが問題ということを知って、それから解放され続けるような生き方は、お釈迦様が教えようとしたことそのものです。だから教えをいただいて、それを家族の中でとか、友達の中でとか、あるいはまわりの人との中で、「人間の根性って危ないよねえ」と、「自分を中心にしたら人を敵にしていくよね」と言っていく。そういうことも大事だと讃めてくださっているのが、このお釈迦様の「私の親友だ」というお言葉です。

 こちらから言う話じゃないですよ。また私が立派になったという話でもなく、仏から言ってくださるんです。問題の中で愚痴を言ったり、泣き叫ぶこともあるし、逃げ出したこともあるような私なんですよ。立派な強い私になってるわけじゃない。しかし教えをいただく時に、いろいろある中を、「ああ先達もこうやって生きていったか」「うちの先祖もこうやって生き抜いてこられたか」と言って、その中をたくましく生きていく力を賜るということは、ありうるということです。

 その全体がお釈迦様から見れば、この世の中に仏法をとどけてくださっている大事なことだと讃めてくださるということです。ここだけとってね、凡夫が偉い者になったという話じゃないですよ。煩悩具足の凡夫は変わらないのです。けれども仏法をいただいて生きていくところに、お釈迦様の親友とまで言われる世界がある。

 もうひとつは、

  真実信心うるゆえに
   すなわち定聚にいりぬれば
   補処の弥勒におなじくて
   無上覚をさとるなり   (聖典五〇二~五〇三頁)

 こういう御和讃です。真実信心を得るからすなわち「定聚」に入る、間違いなく迷いを超えて人生を完結していくことができる。仏の覚りのところまで、歩みを進めていくことができる。そういうものに加えられるのです。それを「補処の弥勒におなじ」と言っています。「補処」の「補」というのは「おぎなう」という字ですね。「処」というのは「ところ」、これは仏処、仏様のところです。だから仏様のところを補うということで、仏様のあとを継いでいく人という意味です。お釈迦様の跡継ぎは弥勒菩薩です。

 お釈迦様が亡くなって、この世が本当に問題だらけになってきた時、そこにまた弥勒菩薩が現れる。こういう信仰は親鸞聖人の時代、ものすごく盛んでした。「お釈迦様がいない今は弥勒さんだ」と言ってる人はいっぱいいたんですよ。これは現代風に言ったら、救世主待望論です。世の中が不安定になってくると、誰か世の中を救ってくれる人が出てこないかとなる。本当にどうすることもできない状況の中で、弥勒が求められるんです。聖人の時代もそんな時代だったんですが、その時に親鸞聖人は、「いやいや。弥勒菩薩を待たなくてもいいよ」と言うんです。なぜなら「あなたが弥勒と同じだから」と。私たちが南無阿弥陀仏を申して阿弥陀仏に道を教えられながら生きていくということは、もう何万年も先の話でなくて、今ここで仏様の世界がいただけることだという、こういう讃め言葉なのです。

 弥勒菩薩を待つのではなく、実はひとりひとりが、手間と時間がかかるかもしれませんが、仏様の教えをいただいて生きる道を明確にしてくださいというのが、親鸞聖人からの呼びかけのように思います。旗振って、いかにも魅力的で、「こっち来たらいいぞ」って言っているのは、実は怪しいかもしれないということなんですね。

 八百年前は弥勒信仰がとても盛んでした。形を変えていろいろな宗教が流行ったりするのは、現代も質的には同じだと思います。この人についていけば明るい未来を与えてくれるかもしれない。私たちはこう思ってついていくんですけれども、そうではなくて、明るいか暗いかを超えて生きていく道が大事なんです。

 念仏して生きる人、信心に立って生きる人はもう弥勒と同じですよと、親鸞聖人はここまで言ってくださっている。私たちへの大きな讃め言葉、励ましだと思います。弥勒ですらそうなんですから、怪しい救世主についていくなという呼びかけとして、私には聞こえます。

〈了〉

 

発刊によせて

 この冊子は二〇二一年六月二一日に開かれました真宗大谷派大阪教区第十二組「女性のための真宗講座」にて、大谷大学の一楽真先生にお話しいただいた内容をまとめたものです。
 昨年から新型コロナウィルスが世界に蔓延し、一年以上経った現在でも収束の気配は見えません。人びとはワクチンの接種にわずかな希望を見出していますが、まだこの先どうなっていくのか、まったく見通しが立たない状況です。
 そんな中、大阪教区第十二組でも、所属各寺院の法要などがあいついで縮小され、また組の行事も中止を余儀なくされてきました。当「女性のための真宗講座」も『歎異抄』を一楽先生に講義いただいておりましたが、今年は坊守・寺族のみの参加とし、「今のこの状況下で、どのように生きていくのか」というテーマで、先生にお話いただいたことです。
 その折に「せっかく先生にお話いただいたのに、少人数が聞いているだけではもったいない」という意見があり、組内で協議した結果、冊子として出版させていただく運びとなりました。この冊子が組内のみならず、有縁の方々にひろく読まれることを念願しております。
 最後になりましたが、出版をご快諾いただき、ご多用のところ校正の労をお執りくださいました一楽先生に、あらためて御礼を申し上げます。
 
  二〇二一年八月

真宗大谷派大阪教区第十二組組長 越浦 龍成会

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Last modified : 2021/09/26 19:08 by 第12組・澤田見(組通信員)