金木犀
どのように生きるか

 俳優の益田喜遁(きいとん)さんが「よく死ぬことは易しいが、よく老いることは並大抵のことではない」と言っておられるのを読んだことがあります。

 ふだん、私たちはややもすると苦しまないで楽に死にたい、ポックリと死ねたら大往生やなどと、自分でもわからない死にざまばかりを気にしていることが多いものです。

 考えてみるまでもなく、その日の来るまでは生きていかなければならないわけで、どのように生きるかがむしろ大きな問題なのです。

 「どのように生きていったらよいだろう。考えあぐねたら、自分が生まれてからこの方の人生のひとこまひとこまを、できる限り細かく思い出してみるがいい。だれに、どのように世話になったか。だれに、どのような迷惑をかけたか。だれに、どのようにしてむくいてきたか…。かわした会話や、しぐさ、行動などを具体的に思い出す。意識の底に埋もれていた自分の人生をあらためて発見し、経験し直し、新しい心組みで未来に立ち向かうことができる。」(朝目新聞「天声人語」)

 こうなると、今に至るまで、私自身、自分の物指し(勝手、都合)で善し悪しを決めつけ、人には迷惑のかけっ放し、しかも強欲そのもの、文字通り「邪見僑慢悪衆生」(じゃけんきょうまんあくしゅじょう)から一歩も出ない自分のような気がします。

 しかし、こんな私でも何とか生かさせていただいているのは本当に有難いことです。

 ちょうど秋のお彼岸、自然のたたずまいにじっと耳を傾け、自分自身をふり返ってみるよい機会かも知れません。

「彼岸になると
  み仏の私への
   呼びかけが
  寂かに
   身に泌みてくる」

(平成3・9・23)

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Last modified : 2014/12/10 3:21 by 第12組・澤田見(ホームページ部)