つつじ
すべて如来にお任せ

 周りに囲いが作られ、三十数年来の古い木造の市営住宅群と植木の類が一週間も経(た)たぬうちにすっかり撤去・整理されてしまいました。鉄筋の高層住宅に建て替えられるということです。

 ところが、南の囲いに沿って桜の大きな木が5本だけ残され、今年もみごとな花を咲かせました。雨が多かったせいか、「三日見ぬ桜かな」、一面に花びらが散り敷き、今では新緑の葉桜になってしまいました。

 市の粋(いき)なはからいもあるもんやなと思っていましたが、実は、近くの桜の木を愛する人たちの願いが実ったものだと聞きました。葉を茂らせて、夏には涼しい木陰を作って蝉時雨(せみしぐれ)を聞かせてくれることでしょう。

  人の世へ 儚(はかな)き花の 夢を見に (句仏上人)

  散る桜 残るさくらも 散る桜 (良寛、また幕末維新の志士雲井龍男の作とも。辞世の句)

 「お花まつり」の時の写真で、幼い子たちが無心に手を合わせてお参りしているのがありました。その姿の何といじらしく可愛く、仏さまの姿に見えたものです。

 合掌礼拝の姿は、はたから見ていても、本当に尊く、美しいものです。しかも、それが無心無我であればある程、純粋で、尊いものです。「南無阿弥陀仏」と、すべてを如来のはからいにお任せする姿ではないでしょうか。

(平成4・5・22)

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Last modified : 2014/12/10 3:18 by 第12組・澤田見(ホームページ部)