鈴蘭
すべての苦は如来の励まし

 奈良の古い、有名なお寺ですが、お堂の柱に大きな板が打ちつけてあり、次のようなことが書いてありました。

 「誰でも知ることの出来ない災いをみんな背負っているものです。何時何処(いつどこ)で何が起こるか分かりません。仏の焔(ほのお)でこのような災難や病気を焼き尽くして下さい。
 仏の慈悲を護摩(ごま)という。ごま木一本五百円、千円」というのです。

 どんな災難に出遭(であ)うやら、いつ何が起こるやらわからないのがお互いの人生で、この点では前半分の内容は理解できます。

 「苦しい時の神頼み」といった諺(ことわざ)がありますが、人間は困って動きがとれず、頼るものがなくなると神にも仏にも頼るという意味です。だれも、災難や病気などは真っ平御免で、そんな目には遭いたくないと思っています。

 といって、災難や病気は焼き尽くしてなくなるものでしょうか。

 お釈迦さまは、「人生は苦である」と教えられ、その姿として四苦八苦を説かれました。

 四苦とは、生・老・病・死という人間としての根本的な苦を指しています。この四苦に、愛するものと離れねばならない「愛別離苦」(あいべつりく)、いやなものに会わねばならない「怨憎会苦」(おんぞうえく)、欲しいものが手に入らない「求不得苦」(ぐふとっく)、人間の心身を形成する五要素から起こる「五陰盛苦」(ごおんじょうく)の四つを加え、八苦とされたのです。

 この四苦八苦に集約されるもろもろの苦しみから、私たちはのがれることはできません。となると、苦しみを受け止めていくより方法がないのでしょうか。

 棟方志功氏は苦から逃げれば、苦は追うてくる。楽を追えば楽は逃げて行くと言っています。

 あの人は「苦労人」やと言われる人がいますが、「苦労人」とは多くの辛苦をなめてきて、よく世情に通じた人のことを言います。

 「人生におけるすべての苦しみは、如来の励まし」であり、むしろ苦しみや悩みが私を育ててくださるのではないでしょうか。

(平成6・3・18)

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Last modified : 2014/12/10 3:18 by 第12組・澤田見(ホームページ部)