山吹
「天上天下、唯我独尊」

 お釈迦さまが誕生され、そのまま四方に七歩を進み、右手をあげて声高らかに、

 「天上天下、唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)と宣(のたも)うたと伝えられています。

 「天上天下唯我独尊」とは、「天上天下に、唯、われ独りにして尊し」ということで、「ひとりよがりのうぬぼれ」ということではありません。

 「天上」とは、時の長さ、「天下」は、広さ、広がりのことですが、「天上天下」とは、いつの時でも、どこに生まれても、どこにいても、つまり、誰彼もなく、皆ということです。「唯我独尊」とは、無条件で、比べることのできない尊い私のこのいのちを只今ここにいただいたと言うことです。

 私たちは、年がいくよりも若いほうがよい、病気よりも元気なほうがよいと、いつもよいか悪いかで判断しています。

 そんな私たちに、お釈迦さまは、「若い時だけがよいのではありません。若くて元気な時も、年老いて人の世話になる時も、どの時も、私に変わりはありません。人間は、偉いものではありません。尊いものです.。いのちの尊さ、重さは比べようがないのです。世間がたとえ私を見捨てても、私は、この私を見捨てることはありませんよ」とおっしゃってくださっているのです。

 私たちは、いつも仏さまと一緒なんです。独りぼっちではないのです。

 先だって亡くなった小説家の遠藤周作さんが、「愛」ということについてすばらしい解釈をされていると聞きました。

 「無力なる同伴者」。これは有力とは違う、無力というのがいいのです。何ともできないということです。何とかしてやりたいけれども何ともしてやれない。許してくれ。しかしおまえの同伴者だぞ。これこそが大慈悲なのです。

 仏は何とかなれとはおっしゃいません。仏でも何ともできないのです。ただ痛んでおられる。悲痛です。しかしおまえの味方だぞと。おまえの傍にいるぞと。そして助かってくれよと願われた。その願いが、南無阿弥陀仏のお念仏になって下さった。というのです。

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Last modified : 2014/12/10 3:18 by 第12組・澤田見(ホームページ部)