桔梗
念仏相続

 毎度、告別式が終わると、お棺を斎場まで見送り、最後の勤行をします。その間に、家族、親族の方々が一人ひとり最後のお別れをされます。

 この間も、一軒、お葬式があって、斎場へお伴しましたが、お勤めも終わり、次の準備をされている時、ちょっと離れて右のほうで、よそのお宅のお勤めが始まりました。ふと、見るともなく、目をやると、最後のお別れを済ませた高校生ぐらいの女の子が二人、ケラケラと笑いころげるようにして戻って来るのです。見ていたのは私だけではなかったと思いますが、唖然としました。

 どういう方が亡くなられたのか、この女の子たちとどういう関係の方かはわかりませんが、そういう時には普通、時には泣きくずれ、時には目もとをハンカチでおさえながら悲しい気持ちで引き下がる人たちがほとんどですので、どのように考えてよいのか、忘れることのできない光景でした。

 昔は、お産も家でされました。産婆さんに来てもらい、お湯も沸かして、赤ちゃんの産ぶ声を待っていました。

 人が亡くなる場合もたいがい家でした。臨終も家族みんなにみとられて迎えられたものです。葬儀告別式も、同行(どうぎょう)の人たちが手伝って、お棺を輿に乗せ、火葬場まで野辺の送りをしました。

 今では、出産も、亡くなるのもたいてい病院、死に目にもじかに遇えなくなって来ました。お葬式も葬儀屋さんが段取りしてくれます。

 時代が変わって来たこともあるでしょうが、核家族化が進み、お内仏(お仏壇)のない家もふえて来ました。おじいちゃんやおばあちゃんが毎朝毎夕お内仏の前に座わってお勤めをする姿を知らない子どもも多くなって来たのではないでしょうか。

 遺産の分配をめぐって兄弟が大喧嘩した話をよく耳にしますが、先祖代々受けついで来た、これからも受けついでいくお念仏の相続がおろそかになって来ているのではないかと気になります。

 今年は、一生かけてお念仏を広められた蓮如上人の五百回御遠忌法要が本山で勤められ、全国各地から多くのご門徒の方々が参拝されました。

 『蓮如上人御一代記聞書』に、蓮如上人の教えを受けとめて、孫にあたる円如様が

「往生は、一人一人のしのぎなり。一人一人に仏法を信じて後生をたすかることなり。余所(よそ)ごとのように思うこと、且(か)つは我が身をしらぬ事なり」(第172条)

と言われています。申すまでもなく、お通夜も、告別式も法事もみんな他人ごとではなく、自分自身の問題であり、仏縁に遇わさせていただくありがたいご縁なのです。

(平成10・6・9)

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Last modified : 2014/12/10 3:20 by 第12組・澤田見(ホームページ部)