問い

一般には、子どもが生まれると、一ヶ月ごろに神社へ「お宮参り」をする習慣があるようですが、仏教徒はどうすればよいでしょうか。

答え

 世間で、赤ちゃんが生まれると神社へ「お宮参り」をしたり、「七五三詣り」をするのは、単なる「厄払い」の意味であって、仏教徒(真宗門徒)であるならばそのような気休めのまじない事をするのは、本来おかしいことで、せっかくの新しい生命(いのち)の誕生の意義を見失わせることになります。

 仏教徒であるならば、仏様からいただいた子どもだとの思いを新たにして、まず仏縁を結ばせることが大切であります。

 最近では産婦人科の病院で出産することがほとんどのようですので、退院して自宅に帰ったら早々にお内仏にお参りします。お灯明をともし、ロウソクを立て、お花も新しく立てかえて、お荘厳(しょうごん)を整えます。そして家族そろって正信偈(しょうしんげ)、ご和讃(わさん)をお勤めされるとよいでしょう。

 その後、母親と子どもの体調が落ち着きしだい、適当な時期に手次のお寺に連絡をとって、お寺の御本尊にご挨拶に行きます。これを「初参式(しょさんしき)」あるいは「誕生児参り」といいます。

 赤ちゃんはまだ何もわからないように思いますが、そうではなく両親をはじめ家族の者が御本尊を大切にし、お敬いの気持ちをもって生活し、その気持ちで子どもを養い育てていくことが、おのずから赤ちゃんの身心にしみ込んでいくことになるのです。

 仏教は正しい智恵と慈悲心(じひしん)を育むことを教えます。完全な智恵ある慈悲を阿弥陀仏と申し上げて敬い、礼拝する人を真宗門徒と言います。
 親は子どもに多くの願いをかけますが、根本の願いということになれば、「人間に生まれて本当によかった」と言える人間に成って生きてほしいということであるに違いありません。しかし「生まれてよかった」とはいっても、他の人々をかえりみず、自分さえよければよいということでは本当の人間とはいえません。智恵ある慈悲心をもって、他人の悲しみや痛みに同感できる優しさを育てていくことが大切であります。

 本尊(阿弥陀仏)を敬い礼拝する生活の中からは、周囲の人々を敬い、自他共に生命を大切にして生きる人間が育ち、ひいては動物・植物等、あらゆるものの生命を大切にする本当の優しさが身についてくることでしょう。

 縁あって、受け難い人間としての生命を賜ったのです。神頼みや、厄払いの迷信沙汰ですまさず、その生命の大切さと意義の深さに目覚め、真の人間となっていく道を教えられる仏さまの教えと御縁をむすんでいただくために、誕生児参りはぜひお寺へお参りください。

(本多惠/教化センター通信 No.49)

Pocket

Last modified : 2015/02/22 23:39 by 第0組・澤田見(ホームページ部)