問い

長年営んできた店を閉め、よそへ転居することになりました。しかしその日が近づくにつれ、少しのことで不安になって、夜も眠れません。

(70歳・女性)

答え

 七〇年の人生を歩んでこられた、その人生の歩みの中にはいろいろな出来事があったことでしょう。自分の思いどおりに事が運んだこともあったでしょうし、期待を裏切られたような憂き目にもあわれたに違いありません。このたびは店を閉めて転居されるとのことですが、転居先で店を開かれるのか、はたまた隠居(?)されるのかは存じませんが、いずれにしましても、周りの環境が変わることには違いない。そのことに不安な気持が動いておられるのでしょう。

 私たちの人生には、「どうにもならないこと」と、「どうなるかわからないこと」とがあると言われます。自分の思いどおりにしたいのに、どうにもならなくて不満を持ち、どうなるかわからないことに不安を持って生きているのが私たちです。
 ひところ流行した言葉で「ケセラセラ。なるようになるさ」というのがありました。なにか捨てばちな気持を言っているように聞いていましたが、人生はそんな単純なものではないでしょう。自分の人生を大切に生きようとすれば、「一寸先は闇」と言われる人生に、大きな期待と底知れぬ不安をいだくのは当然かと思います。

 そこで一般的に教えられていることは、「人事を尽くして天命を待つ」ということです。結果の善しあしは天が決めることだ、すなわち私の手の及ぶところではないから、私自身は力いっぱい頑張る以外にないということでしょう。しかし、そこには天に対する期待と、結果に対する不安があります。

 明治の仏教学者である清沢満之先生は、「天命に安んじて人事を尽くす」とおっしゃいました。清沢先生のおっしゃる天命とは、仏さまです。仏さまを信じて、人生を精いっぱい生きるということです。一度しかない私の人生です。生涯の中、一日しかない今日です。仏教をよりどころとして、一日一日を大切に生きてゆきたいものです。

(本多惠/教化センター通信 No182)

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Last modified : 2014/12/09 6:16 by 第12組・澤田見(ホームページ部)