ほんがんによって ひとはにんげんにめざめ みちをいただき ほとけとなる

~ 本願によって 人は人間に目覚め 道をいただき 仏となる~

 法律で定められていなくとも、人が人を傷つけ殺してよいと思っている人はいない。たとえ戦争であれ殺すことを好み楽しむ人はいない。獣も生命維持が目的で殺を楽しんでいるわけではない。特に人は生まれ、育つ中において親の「言葉」によってその法則を教えられ人であることを自覚し、人の行為の善悪を知る。また、親や大人も決して、その法を考えだしたのではない。その親、また、その親と、言葉を持たなかった人類の原始から、生命の原始から、存在そのものの法則を言葉として継承してきた。しかし、どれほど巧みな言葉であっても、その言葉に託された法に出遇わなければ言葉は意味を持たない。
 本願なる法は、六字の言葉となって人を人間たらしめ、人間の上に仏(自覚)道を開くのである。

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Last modified : 2014/12/11 6:52 by 第12組・澤田見(ホームページ部)