死んだり 生まれたり 大きな願いの 船の中で ─東井義雄─

 ある時、父親を亡くした友人が、家に居て当然だったはずの親が、この世からいなくなったという感覚の不思議さについて話してくれた。友人は父親を避け続けてきた自身の態度に後悔の念を持ち続けていたようで、周辺の人から「生前、息子さんの話をする時が一番嬉しそうでしたよ」という言葉を聞くたびに胸が痛み、あらためて親の思いの深さを感じずにはおれないとも話してくれた。死なれてみて初めて出遇える親もある。諸行無常の人生、代理のきかぬ人生だからこそ出遇える願いである。
 親鸞聖人は「弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」とうたわれる。意のままにならぬ人生だが、そのままをすべて包み込む広大な願いのはたらきの中にいることだけは確かだ。

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Last modified : 2014/12/13 10:58 by 第12組・澤田見(ホームページ部)