相手を鬼と見る人は 自分もまた鬼である ~曽我量深~ 

 いつの頃からか、2月の節分になると、「鬼は外、福は内」と言って豆をまいている。幸福を願い、災いを厭うのは人として当然であろう。しかし、自分にとって不都合で、嫌悪するものや人を「鬼」とし、好都合なことや人を「福」と受け止める物差しを基準とする限り、際限なく鬼は増え続けていく。真面目に悪を廃して善を修養しているつもりが、いつの間にか自分自身が鬼になりかねない。あげくは鬼になった自分も疎ましくなるかもしれない。
 そんな私を常に慈しみ、悲しみ、嫌わず捨てずに包みこんでいる光がある。その光に照らされて我が身の悲しい事実に気付かされた時、不都合な悪を転じて徳と成す智恵を賜るのである。「鬼」に縛られたこの身が解放されてこその「福」である。

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Last modified : 2014/12/13 11:04 by 第12組・澤田見(ホームページ部)