弥陀の本願には 老少善悪のひとを えらばれず ~親鸞聖人~ 

 人材派遣という言葉が定着した。文字通り人材を会社などに派遣することである。いつの頃からか人間が人材(材料)と呼ばれるようになった。「人材」とは「才能のある、役に立つ人」と辞書にある。会社が求める能力に合う人が人材として派遣され、不必要になれば切り捨てられかねない。悲しい娑婆社会の現実であるが、そもそも。人間存在そのものの価値を、役に立つか否か、好都合か否か等の条件付の眼に縛られ分別しているのが人間の日常である。
 一方、弥陀の本願は、そうした人間社会の事実を大いなる悲しみの眼でもって照らし出すはたらきである。その大悲に気付き頷いた時、人は悲しみの中でも未来を賜ると顕かにした人がいる。その人こそ、自らを愚禿と名のった親鸞聖人である。

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Last modified : 2014/12/13 11:16 by 第12組・澤田見(ホームページ部)