摂取の心光 常に照護したまう ~親鸞聖人~ 

 親鸞聖人は、この言葉について「信心をえたる人をば無碍光仏の心光、つねにてらしまもりたまうゆえに、無明のやみはれ、生死のながきよ(夜)、すでにあかつきになりぬとしるべし」と注釈している。
 今、人生の無明の闇とは一体何であろうか。それは、帰すべき処を見失い、伴う世界を見失い、方向を見失った世界である。昨年の漢字は「絆」と報道されていた。大震災、大津波、原発事故を経験し、見聞した人の願いが託されているのであろう。しかし、日本の文明はひたすら、快適で我が意に添う「お一人さま文化」を推進し、孤独・孤立を助長してきたように思えてならない。あまりにも厳しい災害の現実だが、今一度、「絆」とは何かを改めて問い、訪ね求める新年でありたいと思う。

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Last modified : 2014/12/13 11:47 by 第12組・澤田見(ホームページ部)