猫に小判というが あわれ人間は  その小判に 目がくらむ ~ 榎本栄一  ~ 

 猫にとって小判は遊び道具ほどの物ですが、人間にとって小判は「先立つものは金」と言われるように、生活に欠かせない大事なものになっています。
 そもそもお金は物の交換や価値ををあらわす道具や手段でした。お金自体に価値や意味などほとんど無い仮りの物だったのです。ところが人間はそのお金に大きな価値や意味を持たせ「金で解決できないものなど無い」とまで、傲慢になっていったのです。
 しかし今やお金に目がくらみ、人間自体が縛られ虜になって、ついには自ら人間性まで失う事態を招いているのでしょう。そういった顛倒(てんどう=さかさまなこと)した生活を見つめ、失った人間性を取り戻すための仏事が、実はお盆なのです。

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Last modified : 2014/12/13 12:40 by 第12組・澤田見(ホームページ部)