ることを得べし」と。取意
 また、『経』(如来会)に言わく、「この人はすなわちこれ大威徳の者なり」、また「広大勝解の者なり」と説けりと。已上
 誠にこれ、除疑獲徳の神方、極促円融の真詮、長生不死の妙術、威徳広大の浄信なり。しかれば、もしは行・もしは信、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまうところにあらざることあることなし。因なくして他の因のあるにはあらざるなり。知るべし。
 「証」と言うは、すなわち利他円満の妙果なり。すなわち「必至滅度の願」より出でたり。また「証大涅槃の願」と名づく。また「往相証果の願」と名づくべし。すなわちこれ清浄真実・至極畢竟の無生なり。
誠是、除疑獲徳之神方、極速円融之真詮、長生不死之妙術、威徳広大之浄信也。爾者若行若信、無有一事非阿弥陀如来清浄願心之所回向成就。非無因他因有也。応知。
言証者則利他円満妙果也。即出於必至滅度之願。亦名証大涅槃之願。亦可名往相証果之願。即是清浄真実至極畢竟無生。
 無上涅槃の願成就の文、『経』(大経)に言わく、「それ衆生あって、かの国に生ずる者は、みなことごとく正定の聚に住す。ゆえいかにとなれば、かの仏国の中には、もろもろの邪聚および不定聚なければなり。」
 また言わく、「ただ余方に因順するがゆえに、人・天の名あり。顔貌端正にして世に超えて希有なり。容色微妙にして天にあらず、人にあらず。みな自然虚無の身・無極の体を受けたり」と。