問い

真宗では、靖国神社の国家護持に反対しておられるようですが、理解できません。なぜ反対されるのですか。

答え

 真宗大谷派が靖国神社法案に対して、初めて反対を表明したのでは、1969年(昭和44年)3月でした。以来、宗門として重要課題として関わってきました。

 反対の理由は、当初は「法案」自体の持つ違憲性についてでありました。現に神社神道に所属する一宗教団体である靖国神社を国家が護持することは、「信教の自由」「政教分離」の原則、ならびに「公金使用の制限」を規定した憲法に違反し、また「法案」が靖国神社を宗教ではないと断定することは、国家権力による宗教干渉への道を開く危険性があるということでした。

 このことに対し、「仏教は寛容な宗教である。靖国信仰を大きく包み込んでいくのが仏教徒の態度ではないか」とか、「日本国のために戦って死んだ人を国家が英霊として祀ることは当然のことである」等の反問が随分ありました。

 しかし、靖国神社は明治以来国家に忠誠を尽くす者を祀ることによって国家主義を宣揚する精神施設として培われ、さきの戦争においては戦没者を「英霊」「神」として祀ることを代償に「国のために死ぬ」ことを賛美し、強要する政治的施設として主に国家神道そのものとして機能してきました。

 「英霊」としてまつりあげられた戦没者は、実は、戦争の犠牲者であり、またアジア諸国への加害者でもありました。戦争によって殺されていった多くの外国の人々、また国内の戦災で亡くなった老人、女性、子どもたちが等しく犠牲者であります。
 我が国の戦没者のみを「英霊」として尊崇し、さらには戦争を「偉業」と讃えることは国家主義的愛国心、民族主義的エゴイズムであり、侵略戦争を正当化するものとして、アジア諸国からも激しい非難をあびています。

 国家や民族、人種を超えて、共に同じアミダの生命を生きる同朋(どうぼう)としての連帯を願い続けることが私たち浄土真宗に生きる者の使命であります。

 戦没者の方々は、靖国の庭に神として祀られ再び国家主義・民族エゴを培う戦争への道を歩む道具として利用されるのではなく、犠牲者であり、また加害者であるという二重の悲惨を持つ罪悪・戦争を二度と再び起こしてはならないという悲痛な叫びをあげておられるのではないでしょうか。

 真宗本廟(東本願寺)では毎年4月に「全戦没者追弔法会(ぜんせんぼつしゃついとうほうえ)」を、大阪教区では3月に「戦争犠牲者追悼法要」を厳修(ごんしゅう)しています。
 特定の人を対象とするのではなく、戦争によって尊い命を亡くされたすべての人々を偲び、その生命の叫びを聞きつつ、再び戦争の道に歩ましめる要因を除いていくことが、今を生きる私たちの責務ではないでしょうか。

(本多惠/教化センター通信 No.42)

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Last modified : 2015/02/20 0:44 by 第0組・澤田見(ホームページ部)