空しく過ぐる ひとぞなき

今まで「死」ということについていろいろと考えてみました。「死」を考えるということは「生」を考えるのと同義語です。

Part 1では「身近な死」、Part 2では「自殺について」。もちろん「死」について語り尽くしたわけではありません。しかし、こんな大事なことを私たちは今まで考えたことがあったでしょうか。これは、始まりなのです。

今回は「空しく過ぐる」がテーマです。毎日を懸命に生きているつもりなのに、ふと感じる空虚感。誰もが体験したことがあるのではないでしょうか。

そうこの空虚感こそが始まりなのです。平生の雑多な出来事に囲まれて、ふと感じても今まで無視してきた、このなんとも言えない感覚。それを自分の中で見直してみませんか。

親鸞聖人が書かれたご『和讃』の中に「本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき」、こんなお言葉があります。

本照寺住職 沖野頼信師に、このお言葉を紐解いていただきました。なかにはこのお話を聞いて、納得される方もおられるでしょう、感動される方もおられるでしょう。でも、初めて法話を聞かれる大半の方は、半信半疑ですね。半信半疑、大事になさってください。

このお話が結論であり、同時に仏法への第1歩なのですから。

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Last modified : 2014/01/28 23:31 by 第12組・澤田見