沖縄の海はとてつもなく綺麗でした。

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21組では2019年1月30.31日と沖縄への現地学習を行いました。

21組の教化事業の一つ「社会問題を考える会」で例年行われている行事です。

社会問題を考える会では太平洋戦争を振り返る事から現代の問題をあらためて見つめるフィールドワークを毎年行っており、基本現地集合・現地解散の乱暴な研修ですが、その分濃い内容の学習を心がけています。
2015年東京防衛省・靖国神社・千鳥ヶ淵、
2016年長崎、
2017年広島、
2018年岐阜に続き、
2019年の今年は沖縄へ向かいました。太平洋戦争を学ぶ上で外せない場所であり、現代にも問題が継続している場所です。

初日に首里城~旧海軍司令部壕~東本願寺・沖縄別院~普天間基地の見える嘉数高台公園~辺野古の海を。
二日目は糸数アブチラガマ~沖縄県平和祈念資料館~ひめゆりの塔~慶座絶壁~南風原壕群20号の計10カ所を足早に回りました。

琉球王国の政治、外交、文化の中心地として威容を誇った首里城。ここもまた1945年の沖縄戦で灰燼に帰し、1992年沖縄の本土復帰20周年を記念して国営公園として復元され、現在は世界遺産として登録されています。たまたま御内原(おうちばら)などの首里城「奥」の世界が復元公開されるタイミングで、外国人旅行者もたくさん訪れていました。往年の琉球王国もこのように国際色豊かであったのだろうと、しのばれます。

次は旧海軍司令部壕、有名な「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ 賜ランコトヲ」の大田司令官の海軍次官への電文が発せられた場所で、1970年から修復・公開が行われています。旧軍は硫黄島での地下壕持久戦に活路を見いだし、米軍を水際での迎撃ではなく陸地に引き込んで地下壕による持久戦術を沖縄戦で採用しました。この壕の建設も1944年8月と終戦の1年前であり、本土決戦への時間稼ぎのためのものでした。このことが当時の沖縄県民に多大な犠牲を強い、そして「かく戦えり」の電文へとつながりました。
ほとんどの沖縄で戦った軍人が沖縄県民のことを考えていなかった中、異色の司令官であったのは確かでありますが、後世に特別の計らいどころか、終わらない戦後が今に繋がっている、と知れば大田司令官はどう思うのでしょうか。
http://kaigungou.ocvb.or.jp/

次に、終わらない戦後、を見に行きます。
「世界一危険な飛行場」、アメリカの国防長官をして、どうしてこんな町中に、と言わしめたのが米軍普天間基地です。海兵隊のヘリコプター部隊の拠点でオスプレイも配備されています。この日も飛行はしていませんでしたが、駐機してるのは嘉数高台公園からもみてとれました。普天間の発着かは確認できませんでしたが、ヘリや軍用機が飛ぶのは本州ではみない回数目撃しました。この飛行場の隣接する場所には沖縄国際大学があり2004年には米軍のヘリコプターが墜落、校舎が破壊されています。たまたま休暇期間中でキャンパス内に学生がいなかったため職員・学生に死傷者は出ませんでしたが、普天間で事故は起きていました。私は不勉強で今回沖縄に行くまでこの事故を知らなかったのですが、この時も米軍はいち早く事故現場を囲い込み、日本の警察・消防は近づくことも出来なかったそうです。
https://www.odnsym.com/spot/kakazu.html

最後は、辺野古の海を見に行きました。米軍キャンプシュワブの沖にある海で、普天間基地の移設先として埋め立て工事が始まっています。ここには埋め立て反対運動のテント村があり、そこの女性に状況や問題の説明を受けました。とても静かなトーンでかなりの情報量を過不足無くお話いただき、本州で報道されていない部分のことも教えていただきました。

個人的なことですが、沖縄は人生初であり、ほんとうに海の美しさに圧倒されました。本島の中北部には(米軍基地が多いせいもありますが)開発されていない、美しい自然が残りリピーターが多いのもうなずけました。辺野古にとどまらず、この海は後世に残るべきものだと感じた研修です。

二日目へと続きます。

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