外を問題にしている自分

また、先祖供養についてはこんなことがありました。昔、仏教テレホン相談室というボランティアをやっていました。当番で座っていましたら、女性から「しっかりと先祖供養やってくれるお寺を紹介してください」という電話がありました。それで、「もし良かったら訳を教えてください」と聞くと、「うちの息子は一部上場の会社で営業をしています。営業成績もいいし、スポーツマンだし、なかなかのイケメンです。」っておっしゃるのです。母親が息子をイケメンだってよく言うなと思ったのですが、続いて「その息子が、お見合いを三十回近くもしているのですけど、どうもうまくいきません。兄嫁が言うには先祖供養してないのが問題のようです。だから、しっかりと先祖供養してくれるお寺を探しています。先祖供養しっかりしてもらったら、きっと結婚もうまく行くと思うのです。」と答えられました。

私は重ねて「もし良かったら息子さんの好みも聞かせてください」と聞いたのです。そうしたら「あまり背の高い子でなくて、かといってあまり低い子でなく、手の大きい子でもなく、料理が好きで、きれい好きで、温厚で物わかりがよくて気配りができて、」と、どんどん出て来ます。ちょっと呆れて黙って聞いてましたら、そのうち突然笑い出されましてね、しばらく笑ってから「これは無理ですね。」って、すっきりされて電話切られました。

いつでも問題を自分の外のせいにするのが私達の癖です。外を問題にして自分の思いを遂げようとしているのです。その自分の姿になかなか気がつかないのです。何が悪かったのかと思い悩む時、方角が悪かったと言ってみたり、日が悪かったと言ってみたりします。

たとえば方角には鬼門ということがありますが、あれは中国で生まれた言葉です。収獲が終わった頃に北東の方角から馬賊が来るのです。食料を全部奪って逃げていくわけです。秦の始皇帝の時代に、この馬賊の侵入を防ぐためにできたのが万里の長城です。ですから、日本で北東が鬼門といっても意味がないのです。しかし鬼門といわれると、鬼門封じをしたくなるのが人間なのです。

こうやって、すべて外を問題にしている自分の姿に、気がつくかどうかが大切なことではないでしょうか。

表面の姿しか見ていなかった

私たちは何を求めて生きているかを確かめてきましたが、一つは、今言いましたように自分の思い通りになること、つまり良し悪しの「良し」だけが自分の人生になることを求めるような生き方です。

もう一つは、「良し」だけを求めるのが全てだろうか?本当にこれでいいのだろうかという問いを持つ生き方です。私たちは、こういう確かな生き方を求めておるのではないかと思うのです。

今年で浄土へ還って三年目になります友達がいます。その友達と始めて会ったのは教師修練のスタッフでした。亡くなるときから三十年前ですね。ずっと一緒にやってきたのです。胃がんで亡くなる一年前はうちの定例法話に元気で来ていました。焼酎をストレートで飲むので「おまえ大丈夫か、横に水でも置いて飲まなあかんで」と言っていたものです。

八月三日に亡くなりましたが、六月二十三日が最後の定例法話でした。その定例の前の六月六日にお見舞いを兼ねて様子を見に行ったのです。顔は腫れ上がってアンパンマンみたいになっているし、手足も腫れ上がっていました。尿が出ないのですね。一所懸命に利尿剤使っているのですが、どうも今の様子では難しいなと思って「今回は養生してちょっとでもマシになってから来てくれたらいいよ」と言ったら、怒ったのです。寡黙な男が「俺はちゃんと死を見つめている、俺は癌で死ぬのと違う。生まれたから死ぬのや。だから一つ一つやり残しのないように生きたいと、今、思っているのだ。それをおまえは来るなと言うのか。」と言って、怒ったのです。

私は彼の表面の姿だけしか見てなかったのですね。その心意気といいますか、「人生やり残しのないように生きたい」という心の底までは見ていなかったのです。すぐに、「ああ僕が考え違いをしていた。待っているから来てください。」と改めて定例法話の講師としてお願いしました。

姫路の山奥から来てくれました。塩田温泉があるところです。一人では来られないから坊守さんと一緒に来てくれたのです。その時のテーマは「いのちの荘厳」です。荘厳というのは飾り付けるという意味があります。浄土の荘厳という言葉がありますね、親鸞聖人が作られた『高僧和讃』に出てきます。

安養浄土の荘厳は 唯仏与仏の知見なり
  究竟せること虚空にして 広大にして辺際なし

(『高僧和讃』真宗聖典 四九〇頁)

その日は「お互いに念仏申しあって、その命を輝かせましょう」と彼の遺言のような話になりました。

願いを次の者に

それから、彼が最後に思っていたのは、九月にある、年に一回のハンセン病の人達の交流集会です。会場は東京です。最後に、そこに行きたいと思っていたようですが八月三日に亡くなります。

身には限界がありますね。では彼がどうしたかといいますと、頭がボケるからと痛み止めを打たずに若い住職を呼んだのです。自分の息子も一緒に呼びました。そこで「私はハンセン病の人との出遇いによって、ああなったら終わりだと思っていた自分が見えてきた。

そこから、その人達と共に生きるという生き方がある、ひとりひとりが命輝やかせていく生き方があるのだと気がつかせてもらった。どうか自分の後を継いで東京のハンセン病の人達の交流集会に行ってくれ」と言ったそうです。この身には限界があっても、自分の願いを次の者に伝えていくという大きな仕事が残っていたのですね。

こうやって考えてみますと、私達は死んだらどうなるのかという前に、どう生きるのかということが大きな課題としてあるのではないでしょうか。これをお浄土に帰った友達から教えてもらいました。彼は今浄土に還って、いつも穢土におる私たちを見守ってくれていることかと思います。

花びらは散っても花は散らない

今日は資料も用意して来ました。大阪教区の教化センター通信をお借りしてきました。ちょっと読みます。

 死んだらどこへ行くのでしょうか。

 人間死んだらゴミになるといった人もありますが一般によく聞くことは大地に還ると言われます。確かに目に見える部分つまり肉体は火葬すれば骨と灰になり、埋めれば土になります。これは間違いの無い事実でありましょうが、かけがえのない身内の人が亡くなってはたしてそれですむでしょうか。

「トンボつり今日はどこまでいったやら」という歌があります。幼い子どもを亡くした母親が子どもを思う心、心情が歌われています。亡くなった子はもはや帰ってこないことは頭ではわかっていても夕方になると、「今日はまだ帰ってこないなあ」と子どもに思いを馳せる、やるせない情が響いてくるようです。人が死んだら灰になり土になることは違いないでしょうが他人のことならともかくも身内や自分の事となると「死んだらしまい」ではどうしても納得できません。やはり人間死んだらどうなるのかという問いが残ります。「花びらは散っても花は散らない、人は去っても面影は去らない」と金子大榮先生はおっしゃいました。桜の花はパット咲いてパット散ります。花びらは散ってしまっても、しかし「美しかったなあ」と言う花の印象は心に留まります。姿形はなくなっても亡くなっていかれた人の言葉や生きざまは残された人々の心に留まります。お釈迦さまや親鸞聖人のお言葉や生きざまが今日を生きる私達の拠り所となるのもそのことであります。

恵信尼さんからの手紙

これを読むと思い出す事があります。親鸞聖人が十一月の二十八日に亡くなられますと、末娘の覚信尼さんが十二月一日にお母さんの恵信尼さんに手紙を出すのですね。

そこには「お母さん、お父さんの往生は本当に間違いないでしょうか。法然様が亡くなられた時のことを、お父さん(親鸞聖人)は、『光輝く空の中に紫の雲がたなびき、心地よい雅楽が聞こえてきて、何とも言えないかぐわしい香りがしてきた。』と浄土へ正しく還られる姿として教えてくれました。(本師源空のおわりには 光明紫雲のごとくなり 音楽哀婉雅亮にて 異香みぎりに暎芳す 『高僧和讃』真宗聖典 四九九頁)ところがお父さんの時には何も不思議な事が起きませんでした。ただ一人の人として死んでいったのです。本当に大丈夫でしょうか」という、内容が書かれてありました。

やがて、お母さんの恵信尼さんから返事が届きます。まず、十二月二十日にお手紙が確かに届いたということ、続いて「なによりもお父様(親鸞聖人)は間違いなく往生なさっています。大事なことは死に様ではなくて、お父様の生き様なのですよ」ということが書いてあります。

また、後半部分には「私も今年で八十二歳になります。これが私の遺言になるでしょう」とありますが、その直前に紹介されるのが、従来は「女犯偈」、今は「行者宿報偈」と呼ばれる親鸞聖人が賜った夢のお告げです。

本文 行者宿報設女犯  我成玉女身被犯  一生之間能荘厳  臨終引導生極楽
書き下し 行者宿報にてたとい女犯すとも、我玉女の身となりて犯せられん。一生の間能く荘厳して、臨終に引導して極楽に生ぜしむ

(『御伝鈔』真宗聖典 七二五頁)

呼び方によって内容も変わります。「女犯」という言葉から、「犯ー被犯」という言葉へと、視点が変化したのです。「犯ー被犯」とは、「差別するものー差別されるもの」「支配するものー支配されるもの」「踏みつけるものー踏みつけられるもの」「犠牲を強いるものー犠牲にされるもの」「切り捨てるものー切り捨てられるもの」という、宿報としての人間関係を課題として一生を生きなさいというお母さんの遺言と言えるでしょう。

そして「この『文』を字の上手な人に書いてもらい、一生身につけてあなたの人生の課題としなさい」と手紙の中に出てきます。

やはりそこからは、「死に様ではなくお父様の生き様を尋ねなさい。それがあなたの人生を導いていくのです」とお手紙のやりとりの中で確認できることです。

お念仏を申す身となるか否か

もう少し資料を読みます。

金子大榮先生にある人が尋ねました。「死んだ祖先はどこに行かれたんですか。死んだら無になってしまうのですか。」この問に対し先生は「死んだらお浄土に還ってゆかれます。そして常に働いておられます。いつどこで働いておられるのか。私が手を合わせて拝むとき、拝まれるものとなって、拝む人の上に現れます」と仰せになりました。

ちょっと資料に手書きで言葉を付け加えました。「生きてるときは身を運ばな会われへんけど、命終したら南無阿弥陀仏になるんや。せやから念仏申したときにいつでも会える」という私の母の言葉です。続けて読みます。

「拝まれるもの」は仏さまです。そういう意味では亡くなった人は「諸仏」となって私達を護持養育してくださっているのです。いわば浄土に本籍をもって穢土に現に有縁の人々を救済されつつあるのでしょう。問題は私自身が真に拝む身(お念仏を申す身)となるか否かであります。亡くなられた方を「仏」とすることができるかどうかは、これをご縁に私自身が聞法を聞き、救われていく確かな人生の歩みが始まるかどうかでありましょう。

今日は座談会が設けられるということであります。「こう聞いたからこう」というのでは生きた出遇いにはなかなかなりませんし、むしろ忌憚なく日頃思っていることを出すことによって確かめ合う、そういう座談会になっていただけたらと思います。
ここで終わらせていただきます。

合掌

本書は、2016 年12 月7 日に難なんばべついんさかいしいん波別院堺支院(堺さかいみなみごぼう南御坊)
で開催された「第3 回 第21 組 推進員の集い」の高橋法信先生のお話を加筆訂正したものです。
この「推進員の集い」を開催するにあたり、当検討会の推進員と住職で何度も打ち合わせを行いました。
その結果、素朴でありながら、やはり一番気になる「死んだらどうなる」という講題で先生からお話をいただきました。
先生は、楽しくそして力強く、多くの方との出会いを通したお話をされました。特に、お子様が素朴に死を考えたことから始まった「生まれたこと・生きることへの問いかけ」が全編を貫いています。
そこで、この問いかけをより多くの方々と共有することを願い本書にまとめました。また、先生と相談し「問われる生き様」という副題もつけさせていただきました。
最後になりましたが、本書の発行を御快諾いただきました高橋法信先生に深甚の謝意を申し上げます。

2017 年10 月1 日

推進員の活動に関する検討会

Pocket

Last modified : 2020/04/28 17:50 by 第12組・澤田見(組通信員)