母の申請

私は、治る見込みがないという条件を、癌の末期とか脳腫瘍とかそういう本当に大変な病気だと思ってました。もう本当に最後に一番辛くて、どうしても最期まで悩みたくないから、ちょっと違う言葉でいうと近道する方法であると思ってたんです。

ところがうちの母が申請することで明らかになったんですけど、母親は何の病気もなかったんです。七十歳でちょっと膝が痛い、腰が痛い、目が昔ほどよく見えなくなったとかそういう歳に合った症状はもちろんあったのですけど、本当に治らない病気に罹っているということは全くなかったんです。

だから、母親が「私はもう安楽死を申請します」って三年半前に言い出した時には「まあどうぞ、そんなの通るわけないし。あなた申請したら笑われるだけよ」と、私と家族は言ってました。

ところが母親が申請したら、二人の医者に会って、本当に死にたいというのが自分の希望であるかどうかということが確かめられて、もう一つ、さっき言ったように認知症かどうかを確かめられました。この二つを確かめるルールなんです。

それで母親は審査をクリアしました。そして私に電話してきました。ちょうど年明けだったんです。「通りましたよ」って、それを嬉しそうに言ってきました。

「何でOKになるんですか、あなた病気も何もないでしょ。死にたいだけ。何の理由で死にたいか、ただ老いていきたくないだけなのに」と、私は答えました。

そういうのが通るって、だんだんと社会が変な方向へ行くんじゃないかなと思うんです。それだったら誰でも手を挙げるでしょ。「私はもういい、もう生きたくない。」って。安楽死を申請したら認知症さえなければそれが通るっていうことなんです。もう、本当に変な話だと思います。「治る見込みのない病気があるか」というのが厳密じゃないんです。海外から申請される場合は分からないですけど、スイス国内はこうなんです。もう、明らかです。

泣くんだったら帰ってこなくていい

母親の話をもう少しします。

私、小さいときから時々、福祉施設を訪ねました。知り合いがそこに入っててその施設に入ると車椅子とか座ってる方がちょこちょこ見えるんですね。

で、母親が「私はこんなになるんだったらもういいです、だから先に私は死にます」ってよく言ったんです。何で歩けなくなった命が、母親にとって生きがいがないのか、あの時から私は理解できてなかったんです。

歩けなくなったら辛いでしょうけど、だからといって人に頼らなければならない人生が嫌で、そんな自分はもう絶対に受け入れられない、先に安楽死しますっていうことは、本当に理解できないです。母親は、「いつ死ぬか決めるのは私の権利です。誰の許可も必要ない」といつも言ってました。

さっき言ったように母親は安楽死という道を選ぶような重い病気に罹ったわけでもないんですよ。

私が「どうして、そんなに死にたいんですか。もうやめてよ、あなたは愛されてるんだから。なぜ、安楽死という道を選ぶのですか」と言ったら「これは私の決心です、私が自分で決めるんです。あなたが口出しする権利はない」と、何回も怒られたんです。

母親が安楽死を申請してそれが通ったっていうのは、チケットが手に入ったみたいな感じです。チケットというか許可証。許可証が手に入ったらすぐしなければならないってことでもないのです。まあ、いつでも、有効期限がないから「じゃあ来週」と思ったら申請したらいいんですね。

母親から「日を決めたけど、あなたどうする、スイスに帰ってくるか帰ってこないか? 泣くんだったら帰ってこなくてもいい」と言われました。死に立ちあうのですから、これ当然泣くんですよね。

帰るか帰らないか、もう私は凄く悩んで。でも自殺ほう助に立ち会うって、どうしても想像できなかったんです。死に立ち会うために帰る、そんなことは精神的に辛過ぎてやっぱり帰られないんです。で、結局いろいろ悩んだけど帰らないことにしたんです。姉は近くに住んでいたから実際に立ち会ったんですけど。

死ぬのにちょうどいい天気だ

それで私たちは毎日毎日電話でやり取りして、そういう気持ちを話したり、でも結局いつも喧嘩で終わったんです。

もう普通に話して「チケット手に入れたんだから、すぐ使わなくてもいいんじゃないの、もうちょっと待っててもいいんじゃないの」って言ったら、彼女(母親)は「車椅子になった私は、生きがいのない人生になる」と言うのです。

彼女(母親)の意見です。私の意見じゃないです。「じゃあ、せめてそうなるまでに待ったらいいんじゃないの」って言ったら、「そうなるまで私が待ちたいと思いますか。そこまで待ちたくないから、今の自分で全て出来る段階で、安楽死を実施したい」と言うのです。

「私はもう生きたくない。私はもういい。七十年生きてきたからそれ以上はいらない。これからは悪くなる一方だから、何のためにその苦労をしなければならないのか」って彼女(母親)が言ってましたね。

結局は、来週の木曜日の午前十時に実施されるとなって、カウントダウンみたいになるのです。もうあと一週間と思うと本当に心が暴れてしまいます。もう、怒ったり泣いたり、「やめてよ!」とお願いしたいっていうかね。

何でまわりの誰かが生きて欲しいよってこれだけ切に願っているのに、母親が「そんなの関係ない、それが私の人生だから自分で決めるんだ」って言うのか、何でそんなこと主張できるのかと思います。私も本当に精神的にすごく辛くなって、でも、もう何を言っても結局止めることのできないことはすごく感じました。

私が日本にいて遠く離れてるから、母親も寂しかったと思うかもしれないですけど、兄とか姉は近くに住んでたんですし、さっき言ってたように綺麗な景色が毎日見えるのに何が死にたいんだっていうかね。周りに大事に思ってくれる方もいた、だから一人で誰もいなくて、どうしても孤独だからもう早く死んだ方が良いとかそういうことじゃなかったんです。

木曜日の当日も電話してました。時差を考えると日本は八時間進んでますから私が午後五時(スイス時間の午前九時)に玄関出るまでしゃべったんです。でも、これで話すの最後ってわかったら、何を、何を伝えるんですか? 後で言うの忘れてたと気がついても手遅れです。そういう後悔をしたくないんです。これが最後とわかって何を伝えるのかというのはすごく辛いですね。

母親は「あ、今ちょうど雪が降ってて死ぬにちょうどいい天気だ」そんなこと言ってました。死ぬにちょうどいい天気だと。

私は、最後まで喧嘩で終わりたくないから、どう言ったら後悔しないかってすごく考えて、でも私がそれが思いつく前に母親が「じゃあね」と言って、それが最後の言葉でした。

やっぱり心がついていけないんです

私は、その日、ただじっと座って、時計を見て何もしないっていうのは耐えられなかったです。時間が過ぎていくのを見るだけではもう辛過ぎて、もう自分も壊れてしまう気持ちだったから、その日はいつも通りに普通の仕事を、いつもの木曜日にしているのと同じようにリズムを失わないようにやっていきたいなと思いました。

で、尺八の稽古に行く電車に乗って、ホームに電車が出る時間が出てるんですけど、もうそれを見るとあと十分、あと五分とやっぱり思ってしまうんですね。

目的地に到着したら丁度、六時三分、四分になってたから、じゃあもう終わっているのかなと思いました。あのときの景色よく覚えてます。

二時間ほど後に、スイスの姉に電話して「どうだったの」って聞いたら、「順調に終わりました」って。姉は母によく似ててけっこう冷静な人で、私みたいに感情的になることはなかったんです。

当日は、安楽死の組織から看護師とか来てビデオカメラをセットアップされるんです。そのカメラの前で質問に答えなければならないんですね。「あなたは死にたいんですか」って聞かれて「はい、私は死にたいです」「ここに入ってる薬は何かわかりますか」「はい、この薬で死にます」って答えます。「どういう薬が入ってるかもわかります」ってことですね。警察呼んで、そのビデオを見せて亡くなるのは本人の意思であったっていう証拠を残す感じです。

それで姉が、母親が思い出がいっぱいあるあのリビングのソファの上で横になって亡くなってる姿の写真を私に送ってくれたんです。だけど本当にあまりにもやっぱり心がついていけないんですよね。

病気で、悩んで亡くなったんだったら、心がそのプロセスについていけるんですけど、一時間前は普通に電話で元気にしゃべったのに、もう今はもうソファの上で横になって、もう二度と目を開くことはないと思うと、本当に未だに、やはりよく理解できてないです。

私、あれからスイスに帰ってないんです。スイスでは母親の葬式もなかったですね。そして、母親が亡くなった後、元気であった父親も倒れて急に亡くなったんです。それは普通の自然死でしたけど。

自然死の難しさ

どうしてね、今のこの社会にこの安楽死が必要になってきたかなっていうと、必要になってきたと思ってはないんですけど、どうしてそういうテーマがでてきたのかと思うと、やっぱり一つはその自然死の難しさじゃないかなと思うのです。

医学の進歩により、今は薬があって治すことはできなくても延命治療で、けっこう維持して長生き出来るようになってきてるよね。

いつもそこで思い出してしまうのはうちの近くにシーズー(犬)を飼ってる家庭がいたんですけど、スイスじゃなくて日本でね。もうそのシーズーは二十歳近くなってるんです。もう目も見えない、耳も聞こえないし歩けない。でも、ちょっと体調が怪しくなったらすぐ家族が走って動物病院へ連れていくんです。そこで何らかの薬とか点滴とか何かして心臓さえ動けばその命どこまでもこれを無理やり延ばしてるような感じに見えたんです。

自然死の難しさを感じます。もういまの薬や医学の進歩によって、本当になかなか死なせてくれない状況になってるんじゃないかなと思いますね。

本当に生きるっていうのは何かと問われてる時代になってるんじゃないかなと思います。

Pocket

Last modified : 2020/12/24 17:46 by 第12組・澤田見(組通信員)