どうして届かないのかな

六月だったかな、NHKテレビで「彼女は安楽死を選んだ」って番組をやってたんですけど、見られた方いますか。何人かいますね。

簡単に紹介すると、スイスで海外から希望者を受け入れる団体が、一人の日本人女性が安楽死を行ったのです。三年前に体の機能を失われる神経難病と診断され、歩行や会話が困難となり医師からはやがて胃瘻と人工呼吸器が必要となると宣告されます。そのあと、人生の終わりは意思を伝えられるうちに自らの意思で決めたいとスイスの安楽死団体に登録したのです。

まあ、彼女の場合は神経難病で本当に次々と機能がマヒしていって、最初は歩けなくなったりして、だんだんとしゃべれなくなったり最後に結局は寝たきりになって呼吸もできなくなる状態にまでなっていくんですね。

彼女がいったことばは「I want to receive 安楽死 while I’m still myself(私はまだ自分であるうちに安楽死をしたい)」

介護してもらってることで、ありがとうとか、ごめんなさいとか、そういうことも言えなくなる自分の姿が耐えられないんですね。だから自分で意思表示ができるうちに安楽死を実施したいって言ってました。体の機能を失って生きることに尊厳を見いだせないのです。

役に立ちたいとか、役に立たなければもう生きる価値がないという気持ちがあるのもわかりますけど、どうして「生きて欲しい。家族のそばで生きて欲しかった」という私の母親に対する望みや気持ちは、本人たちに届かないのかなって思うんです。

NHKの番組でも、妹さんは「鎧を脱いで人の助けを得ながら生きて欲しい」と願ったんですが、安楽死を選んだ本人は人の力を借りないと生きられない自分の存在を想像できなかったんですね。

母親の場合もおそらくそうだったんじゃないかなと思います。自分のプライドですね。

結局迷惑かけながら生きてる

みなさんの中に、安楽死が日本にあればいいのかなとか、日本でも法制化されたらいいんじゃないかなと、ひょっとして思ってる方もいるかもしれないですね。

NHKの番組の次の日に喫茶店にいったら、ちょうど隣のテーブルで二人の方が話されていて、それでちょっと聞こえてきました。

「あれいいねえ、あの安楽死。日本にもあって欲しいねえ」
「そう、自分で良いタイミングで安楽死を決められたら迷惑をかけずにすむね」

お世話になりたくないとか、世話になったら悪いとか、迷惑かけたくないという本音はすごい自然で当然だと思うんですけど、でも迷惑かけずにいったい私たちは毎日毎日生きてられるんですかね。

毎日毎日家族だけではなく周りの人にも結局迷惑かけながら生きてるんですよね。迷惑っていう単語を使うのが嫌ならば、お世話になりながら互いを支えながら生きてるんじゃないかなと思います。生まれてから赤ちゃんのときからもういっぱいね、自分では何もできなかったし、いわばお世話になりっぱなしやったんやね。母親にね。

それを覚えていないだけで、どうして年を取って老いていったら自分で自分のことが出来なくなったら、どうして、そこではそういう姿はあっちゃいけないとか思うのか。そこでも自分でできなくなったからちょっと助けてくれる、ちょっと手を貸してもらって、子供とか周りの人にサポートというかヘルプをもらいながら生きて行けばいいんじゃないかなと思うんですよ。

私の母親にも結局そういうプライドがあってそれはできなかったんでしょうね。

お念仏に出遇えて

もう一つ私が感じたのは結局拠り所が無かったんですよね。人生を生きる中で何か自分の拠り所があるから生きていけるんじゃないかなと思うんですよね。

私も母親がこの様に亡くなって、初めて自分の人生に拠り所が無いなって実感してきました。それで一番落ち込んで辛いときに浄土真宗と出遇えて、浄土真宗を選んだというよりも縁があって、出遇いがあって浄土真宗となりました。

本当に一番落ち込んでいるときにお念仏に出遇えて、またそこから自分の中から生きる力を感じるようになって本当に助かった。毎日助けられてるなって感じてます。

まだまだ、私の歩みは、歩み始めたばかりなんですけど本当になんかそういう出遇いがあってご縁いただいてこの道歩めることは凄く感謝してます。

前に、母親が亡くなる前と亡くなった後、つまり、母親が亡くなって得度してから、母親の死に関してあなたの考えは、気持ちは変わりましたかって聞かれたんです。

私は、多分得度っていうか浄土真宗のお念仏に出遇う前は、その死、死ぬことの方に焦点を当ててたんですね。「どうして亡くなったんですか、何で引き止められなかったのかな」という辛い気持ちで溢れてたけど、仏道を歩むようになってからは生きることに焦点を当てるように変わったんです。どのように生きたらいいのかなとか、そういう生きる力を自分のなかから本当に感じるようになってきました。本当に感謝してます。

じゃあ、もう時間がなくなりそうで話はもうここで終わらせていただきます。尺八を一曲だけ演奏させていただきたいと思います。

ありがとうございます。

合掌

 

本書は、2019年12月6日に難波別院堺支院(堺南御坊)で開催された「第21組 推進員報恩講」のジェシーこと法名釈尼萌海さんのお話をまとめたものです。
「報恩講」をお勤めするにあたっては、当検討会で推進員と住職が本音をぶつけ何度も打ち合わせを行いました。
この中で「私の最期を思わずにはいられない」という意見があり、やがて「安楽死」の実際について興味が湧きました。
そこで、お母さんが「安楽死」されたジェシーさんからお話を聞くことになったのです。
ジェシーさんのお話は衝撃的でした。流暢な日本語を操り、元気なお母さんが「安楽死」を選択するという状況が見えてきます。いえ、そこからは「私の最期」をどう考えるかと言う問いかけが改めて聞こえてきました。
確かに、世界中で対応が違うように、「安楽死」の問題は一筋縄ではいきません。しかし、だからこそ「母親を亡くした一人の体験」を、分かち合いたく冊子として取りまとめました。
最後になりましたが、本書の発行に御快諾いただきました釈尼萌海さんに深甚の謝意を申し上げます。
2020年10月1日

推進員の活動に関する検討会

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Last modified : 2020/12/24 17:46 by 第12組・澤田見(組通信員)