コスモス
念仏相続の喜び

 毎日休みなく月忌(逮夜)〈たいや〉参りに出かけます。

 勝手に参っとくなはれといった気楽な家もなかにはないことはありませんが、必ずといってよいくらい、どなたか後ろに座り、勤行本を持ってお勤めについて来られたり、また、後ろでいっしょにお参りされたりします。

 夏休みなどには、小学校二、三年のぼくやお嬢ちゃんがいっしょにお勤めについて来られるお宅も何軒かあります。もの覚えも早く、かわいい声でとても微笑ましい情景です。

 お経は、亡くなった人への一番のご馳走やと言うおばあちゃんがありますが、果たしてそうなんでしょうか。

 あくまで亡くなった方を御縁として、仏縁に遇わさせていただき、生きていることのスバラシサを教えていただく喜びと、仏恩報謝の思いを込めてお参りさせていただくのではないでしょうか。

『前(さき)に生まれん者は後(のち)を導き、後に生まれん者(ひと)は前を訪(とぶ)らい、連続無窮(れんぞくむぐう)にして、願わくは休止(くし)せざらしめんと欲(ほっ)す。無辺の生死海(しょうじかい)を尽(つく)さんがためのゆえなり』(道綽禅師『安楽集』)

と教えています。

 老若男女にかかわりなく、念仏相続させていただけることを喜びあいたいものです。

 一般に「お経をあげる」と言いますが、正確に言うと「読経」と「勤行」とがあります。

 読経(どきょう)とは、お釈迦さまの説かれた教え、いわゆるお経を読むことです。お経は、亡くなった人のために説かれたものではなくて、人生の真実に目覚められた仏陀(ブッダ)が、生きている私たちのために、人生の真実の依りどころと真実の方向を指し示して説いてくださったものです。『浄土の三部経』がその経典です。

 勤行(おつとめ)は、親鸞聖人の書かれたものを読むことです。『正信偈』『和讃』がそれで、親鸞聖人が、お釈迦さまの教えに感動されて、仏徳を讃嘆(さんだん)された信心の感動を表現されたお歌です。

 そういうことですので、読経は仏説を聞くということが中心ですし、勤行は仏徳をほめたたえるという内容をもっています。読経も勤行も亡き人や先祖の供養のためのものとか、息災延命をかなえてもらうためとか、無事を祈るためのものではないということがおわかりいただけると思います。

(平成元・10・1)

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Last modified : 2014/12/10 3:21 by 第12組・澤田見(ホームページ部)