紅葉のもみじ
「あなた任せの としの暮」

○「やれ打(うつ)な 蠅(はえ)が手をすり 足をする」

○「痩蛙(やせかえる) まけるな一茶 是(これ)に有」

○「雀の子 そこのけそこのけ 御馬が通る」

 皆様ご存じの小林一茶の俳句です。小さいもの、弱いものに対するあたたかい、やさしい気持ちにあふれています。

 一茶は、宝暦13年(1763年)、信濃(長野県)も奥の越後境に近い雪深い山村、柏原で生まれました。3歳の時にお母さんが亡くなり、おばあさんに育てられました。「我と来て 遊べや 親のない雀」は、その時のことを詠んだものです。

 8歳の時に継母を迎えましたが、生まれつきの我の強さに継子(まなこ)のひがみも加わって継母への烈しい反感を募らせました。14歳の時におばあさんが亡くなり、翌年江戸へ出、俳諧を習い覚え、20歳前後の頃に、俳諧に生活の道を求めるようになります。39歳の時にお父さんが亡くなります。遺産分配で義理の弟ともめたりしますが、話しもまとまり、その後50歳で郷里に安住することになります。「是がまあ つひの栖(すみか)か 雪五尺」は、その頃の句です。柏原の大火で、土蔵で暮らすようになりましたが、中風が再発し、文政10年、65歳で急逝します。

 一茶の生まれた北信濃柏原は、浄土真宗の篤(あつ)い信心の地でした。一茶の書いた『父の終焉日記』や『おらが春』、その他多くの文集、そして俳句の中に、その信心の姿が詠まれています。

 そういう中で詠まれた次の句に注目したいと思います。

○「花の陰 あかの他人は なかりけり

 春爛漫と咲き誇る桜の花の下で、沢山の人たちが花見を楽しんでいます。うっとりと花に見とれている人、中には花見酒を楽しんでいる人、お弁当に舌鼓を打つ人など…。これらの人たちに全くの他人はない。みんな懐かしく、どこかで皆とつながり合っているのだと詠んでいるのです。

 あかの他人はないということは、私たちみんな一人一人如来のみ光をいただいて生かされている御同朋御同行だというのです。

○「ともかくも あなた任(まか)せの としの暮

 「あなた」とは、申すまでもなく阿弥陀さまのことで、善かれ悪しかれ、阿弥陀さまにお任せするというのです。

 私たちはふだん、自分の努力で生きているつもりでいますが、事実は「他力」によって生かされているのです。心臓の鼓動一つ、自分の思いで動かすことも止めることもできません。宇宙いっぱいの深甚無量のおかげさまの働きによって今の私の一息、一息が成り立っているのでしょう。

 「他力」とは「仏の願いに生かされて、力強く生き抜く」ことなのです。

(平成13・10・1)

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Last modified : 2014/12/10 3:21 by 第12組・澤田見(ホームページ部)