ホトトギス
ふしぎなことばかり

 吹田市のPTA協議会で、毎年、幼稚園・小学校・中学校のPTA新聞の発表会が行われています。

 昨年の発表会に出されたある幼稚園の手書きのPTA新聞の中に、次のような子どもの詩が取り上げられていました。

ふしぎやな 先生!
センプウキがとまっているとき
はねが3まいあるでしょう。
ブ~ンとまわったら
だんだんはねがたくさんになる。
ものすごうまわったら
はねがなくなってしまう。
ふしぎやなぁ~
お母ちゃんに聞いたら
『あたりまえや!』
と言うねん。
ぼく
あたりまえかもしらんけど
ふしぎや。

 何と純粋な澄んだ眼をもった、すばらしい詩でしょう。それに対して、大人はすぐに「あたりまえ」。

 幼い子どもの相手をしていると、子どもたちは、うるさくなるくらい、

 「これなに」

 「どんなこと」

 「なんで」

 「なんで、海の水は塩辛いの?」

などと聞きます。

 大人が無関心でいることでも、子どもにとっては見るもの、聞くもの、身の周りすべてが不思議なことばかりなのです。

 お参りしている中で、ご主人が気象台に勤めておられるお宅がありました。週間の天気予報を担当されていたようです。天候に関する科学や技術が進んできているのですが、人間の知識ではわからないとこが多すぎると言っておられました。正直なお話だと思いました。相手は大自然の無限のはたらき、ちっぽけな人間どもがぼやこうとわめこうとびくともしません。

 それにしても、気象台へ電話による問い合わせがずいぶん多いようです。

 「今年は、春一番が吹かなかったが、もう春がきているのですか」

 「雨が降ると言ったのに晴になった。仕事の段取りが狂った。どうしてくれる!」等々。天候を相手にしているよりも、電話をかけてくる人間を相手にしている方がずっと面白いですよとも言っておられました。

 それにしても、この年になって、何と知らんことの多いこと、わからんことばかりです。ふしぎなことばかりです。

 毎日の天候や、四季の移り変わりにしても、また、動物の生態や植物の生育にしても、私たち人間のからだの働き、世の中の動きにしてもそうです。

 何か、人間の頭でははかり知ることのできない大いなるもののはからいがあるとしか思えないのです。これを仏の智恵と慈悲というのでありましょう。そうなりますと、あれも仏のはからい、これも仏のはからい、大いなるものの願いに願われて生かされて生きていると言えるのではないでしょうか。

 「世間ではあたりまえと言う
  仏法では不思議のことと受けとる
  不思議と受けとれるから
  ありがたいのである。」

(平成元・5・10)

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Last modified : 2014/12/10 3:18 by 第12組・澤田見(ホームページ部)