福寿草
“ただ念仏して”

 「ただすぎにすぐるもの。帆かけたる舟。人の齢(よわい)。春、夏、秋、冬。」

 清少納言の『枕草子』に出てくる有名な文章です。ただ早く、あっという間に過ぎに過ぎていくもの。時の流れは、今そこにいたかと思ったら、もうかなたに過ぎ去っていく帆かけ舟のようです。今でしたらさしずめ新幹線やジェット機の類(たぐい)でしょうか。自分の年齢も30までは普通列車、40までは準急列車、50までは急行列車、60過ぎれば超特急と言われます。

 暑い暑いとぼやいていた夏もまたたく間に終わり、秋風が吹き、木枯らしが吹きます。今年もあとわずかになりました。この世の流れ、人の心の変わりよう、かた時もとどまることがありません。人生は「旅」だといわれますが、私たちはそんなに急いでどこへ行こうとしているのでしょうか。

 若い時から人の倍も働き、りっぱな家も建て、子供たちもそれぞれりっぱに成人し、一見して何の不自由も不満もないであろうと思われるある老人が、「楽しいはずの余生が、決して楽しいとは思えずあれこれと気になることばかりが生じて、人生にあせりといらだち、むなしさばかりを覚えます」と、ため息をつきながら語っておられました。

 人生50年、80年を過ごして、どんな幸せや栄誉を手に入れようとも、老病死を前にした時には、所詮色あせたものになってきます。最後は空しく終わるという人間にとって最も大きな深刻な問題があります。

 このだれしもが抱えている人生の根本的な課題を生涯抱えて、それを超えられ、そのことを私たちに教えてくださったのが親鸞聖人であります。

本願力に遇(あ)いぬれば
空(むな)しく過ぐる人ぞなき
功徳(くどく)の宝海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし(『高僧和讃』)

 それが深い悲しみであろうと、また深い喜びであろうとも、人間の心の真底がゆさぶられた時、”なむあみだぶつ”が口をついて出て来るのです。いずれの行も及びがたい人間の深い自覚でしょうか。

 このお念仏の中に、如来の本願の呼びかけが大きく響いて来ます。”ただ念仏して”、ここには自力に属する一切が否定されて、如来の呼びかけに帰命する自然法爾(じねんほうに)の世界、「おかげさまで」の世界が開かれて来るのではないでしょうか。

(平成7・12・9)

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Last modified : 2014/12/10 3:22 by 第12組・澤田見(ホームページ部)