雪やなぎ
無常とは真実である

 「鬼も福も吉も凶も私の内にある」「豆まきも心の鬼は出て行かず」、「さりながら人の世はみな春の雪」……今年も節分が過ぎ、立春を迎えました。

 さて、お釈迦さまは80歳で、クシナガラ(インドの北方の町はずれ)の沙羅双樹(さらそうじゅ)の林で、2月15日の夜明け、しずかにその生涯を終えられました。この日にちなんで、仏教徒は「涅槃会」(ねはんえ)をつとめます。

 思えば、35歳の成道(正覚を開かれた)後、以前苦行を共にした五人の弟子に会い、鹿野苑(ろくやえん)ではじめて法を説かれました。それを初転法輪(しょてんぼうりん)〈成道後、お釈迦さまは教化の旅を続けられました。そこで、輪をころがすように四方に教えが広がっていきましたが、その最初の説法〉といいます。ここに仏・法・僧の教団が人類の上にはじめて成立したのです。

 その時以来、お釈迦さまは45年にわたり教化の旅を続けられ、すでに救うものは皆救い、いまだ救われないものにはそれに至る道を示されました。

 そして臨終が近づいた時、仏弟子の阿難(あなん)〈お釈迦さまの十大弟子の一人〉は、「お釈迦さまよ、あなたが亡くなられたら、私たちは何を頼りに生きたらよいのでしょうか」とたずねました。

 その時お釈迦さまは、「阿難よ、悲しまなくてもよい。私は説くべきものはすべて説いてきた。いささかもつつみかくしたものはない。私は真実を語ってきた。すべてのものは移り変わって行くのである。無常とは真実である。私の亡き後は自らを灯明とせよ、法(真実)を灯明とせよ。人と法とは、離れたものではない。自分に忠実に生きて行くのだ。忠実に生きるとは、法に生きることである。真実に生きるとは、真実を拠り所として生きて行くのである。生老病死、生者必滅は必然なものである。」と告げられました。

 一切が無常であるこの世にあって、私たちが頼りにしている生きるものが、このお釈迦さまの言葉以外に果してあるでしょうか。お釈迦さまは、私たちの人間的な執着を破って、真に拠り所となるものを仏法として示され、涅槃にはいられました。

 永遠の灯(ともしび)となった仏法を拠り所にし、欲望の日常生活に埋没している私が、この涅槃会を機縁として、真実の私を取り戻して生きることを確かめたいものです。

(平成13・2・9)

Pocket

Last modified : 2014/12/10 3:22 by 第12組・澤田見(ホームページ部)