つながりを生きる/宮城 顗

1 三つの言葉

 講演の前に、仏教讃歌の時間がございまして、私は控え室の方で聞かせていただきました。『ありがとう』という讃歌も歌われましたが、私は初めて聞かせていただきました。この讃歌を聞いておりまして、頭に浮かんだことが一つございます。

 犬養道子という方がいらっしゃいますが、難民の子どもたちに、教育の機会を何とかして与えたいと、努力をしておられる方でございます。

 犬養さんは、いろいろな土地に出て行って、その土地の中に入って、語り合い、難民の子どもたちを少しでも教育の場にと努力されております。その犬養さんの言葉に、世界の民族、それぞれに言葉も違えば、考え方も違う。生活習慣も違う。そういう中でも、一人の人間としてそういう人々の中に入っていくうえで、門になる言葉、その門を通っていけば、まずどの民族の人たちともお互い一人の人間として出会っていけるという、そういう言葉が三つあるということをおっしゃっていました。

 一つは「ごめんなさい」。それからもう一つが「ありがとう」という言葉だと。そして最後の一つが、「プリーズ(Please)という言葉ですね。プリーズというその時の言葉は、「あなたがもしよろしければ、こういうことをしましょうか」、相手の気持ちを聞きながら自分に出来ることを申し出る。そういう時にプリーズという言葉を使うのだそうです。この三つの言葉さえ本当に身に付いておれば、付け焼き刃じゃなくて本当に身に付いていれば、どういう国に行っても人として出会うことが出来る。そういうことをご自身の長い経験をとおして語っておられました。

 考えてみますと、仏教では「地獄」、「餓鬼」、「畜生」と、いわゆる「三悪道」ということを申します。三悪道というのは、人間が人間として出遇えない世界を意味しているわけですが、その三悪道には、今の三つの言葉がないわけですね。「ごめんなさい」という言葉がない世界が地獄でございます。お互いに自分を主張し合う。正義は自分にあると。悪いのは相手だと。そこではお互いに譲り合うということもありません。それこそ、現在行われているようなありさまそのままに、結局、正義の名による争いということが止めどもなく繰り返されていく。そういう「ごめんなさい」という言葉のない世界が地獄です。

 次に「ありがとう」という言葉のない世界が餓鬼です。どれだけもらっても、どれだけ豊かになっても、今、身にいただいているものを「ありがとう」と喜ぶ心がない。もっと、もっとという要求ばかりでございますね。これが餓鬼の世界でありましょう。

 そして、この「プリーズ」という言葉がない。つまり相手の気持ちを推し量り、自分に出来ることは少しでもその人たちのためにしてあげたいと願うという、そういう心のない世界を畜生と教えられています。畜生の世界というのは甘ったれの世界でございます。この自立できない在り方を畜生という言葉で仏教では教えられています。

 私は、今、讃歌を聞かせていただきまして、この三つの言葉ということが頭に浮かびました。そして、それと同時に、この『ありがとう』という歌詞を聞いておりまして、ここには決して何か私にして貰ったことに対する感謝、何か私のためにこういうことをしてくださった、それでありがたいと。ありがとうと、そういう歌詞はどこにもございませんね。そうではなくて、具体的には、「花よ今日の日を明るく咲いてありがとう。小鳥よ元気な声を聞かせてくれてありがとう」と。小鳥は小鳥として、花は花として生きている。その姿をとおしてそれぞれが、それぞれのいのちを輝かして生きているその世界が、私を限りなく勇気づけてくれている。

 この「ありがとう」というのは、実はこの私のためにしてくださったことに感謝するというよりも、いろんなものが共に生きてくださる。いろんなものがそれぞれにそのいのちを輝かせて生きている。そのことが私に、私がそれこそ自分のいのちを受け止めながら生きていく、そういう気持ちを呼び起こしてくださる。言いますならば生きている事実をありがとうと、受け止める心でございます。そこにはいろんな「おかげ」を受けて私が、今、生かされておる。花や鳥もそうでありますが、さらに言えばご先祖もそうでございます。周りの人々もそうでございます。いろんなはたらきかけをこの身に受けて、私はいまこうして生きている。私が今ここにこうして生きていることをありがとうと、このように受け取っている言葉でございますね。

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Last modified : 2014/01/27 22:50 by 第12組・澤田見