2 知恩の心

 これは折に触れて申し上げていることでございますが、日本、アジア全体も充分に存じませんので、よくは申せませんけれども、少なくとも欧米にはこういう「ありがとう」という言葉はないそうでございますね。これはつまり、「恩」という言葉で日本人は表してきました。ご先祖のご恩、自然の恩。その恩を知る。知恩の心ということを仏教は説いてくださっているし、特に親鸞聖人のご生涯を貫いております心は、まさに知恩の心でございます。

 しかし欧米には、そういう知恩という心はありませんし、言葉もないそうでございます。いろいろしてくださったことに対する感謝の心を表す言葉はあるけれども、私が生きている事実をそこに深い恩を感じながらいただく、こういう心、あるいはそういう心を表す言葉は、欧米にはないのだそうです。

 アメリカのある学者が、今の世代間の断絶をはじめ、人間関係がバラバラになってきているが、それではどうすればいいのか。その先生が、どういう縁で知られたのかわかりませんけれども、日本人のいう恩という言葉、これが今一番大事なのではないかと。こういう世代間の断絶をはじめとして、広げれば隣近所との断絶、民族間の断絶、あらゆる関係が断ち切られて、お互いが、ただ自分ということを振りかざして生きている。そういう在り方を今一度、人間としての在り方に呼び返してくださる。その呼び返されていくうえで大事な言葉が知恩という言葉だと、おっしゃっています。

 私が生きている事実を「ありがたい」こととして受け止める。そうこう心が自分を大事に、そして周りの人々を大事にと、そういう心に広がっていくと。そういうことをそのアメリカの学者は感じられまして、恩という言葉をそのままローマ字で「ON」とこういうように、発音をそのまま使って恩という言葉を使った論文を書いたり、学会で発表したり、そしてさらにそういう心を伝えていく運動をされている。そういう方がおいででございます。

 そういう恩という概念ですね。そういう意味では日本が本家本元といっていいかと思うのですけれども、その本家本元の私たち日本人の間に、その恩という心が非常に薄れてきております。

 先日も具体的な学校の名前は覚えておりませんけれども、ご承知のように学校で子どもたちに給食する。その給食の時間は、まず最初にその学校、学校によって言葉は違うでしょうけれども、感謝の言葉をあげ、そして食べ終わってお礼の言葉を一緒に言うということが、どこの学校でも習慣づけられてきているのですけれども、ところがある学校のPTAの会合で、一人の若いお母さんが「けしからん」と怒られたそうです。子どもが給食を食べているのは、あれはみんな親がきちんと給食費を払っているからだと。だから子どもは給食を受ける権利があるのだと。それを何で、感謝を強制するのか。それはけしからんことだと意見をおっしゃったそうです。

 そのお母さんは、子どもをどういう人間に育てて欲しいと願っておられるのでしょうか。いつも権利、義務ですね。そのうちその子が大きくなったらお母さんに向かって、育てる義務があるんだ。もっとしっかり育てなければならないというようなことを言い出すかもしれませんね。なにかそういう心の移り、そういうことも指摘されております。しかし、このことは非常に大切であります。「ありがとう」と、こういう合掌というものをとおしてでも、改めて「ありがとう」と。その心を私どもが呼びさまされていく。このことは本当に大事なことだと思います。そういう心だけがやはり、私のいのちに恵まれておりますつながりというものを受け止めていく心なのでございましょう。今、讃歌をお聞きしまして、予定外のことを思い出し、お話しさせていただきました。

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Last modified : 2014/01/27 22:50 by 第12組・澤田見