4 いのちの事実

 こういうことがございました。私が九州の方に関わりましてもう35年ほどになりますが、九州に行きました初めの頃、目の不自由な人たちのグループと出会う機会を与えられました。グループには、病気や事故、いろいろなことで視力を失われた、まったく失明してしまっている人々。それから少しぼんやり見えるという方。そして、そういう人々のつながりを、ある意味で自分たちも一緒に生きようと集まっている目の見える人々。そういうつながりがございましして、私も加えてもらっていたのですが、その目の不自由な人々の生活していく道は、いわゆるマッサージや鍼灸でございました。しかもその方々はそういうマッサージというところに生きる道を見い出しておられますから、一所懸命に学んでおられるわけですが、ホテルや大きなところからは全部閉め出されるんですね。やはり、目が見えませんと、呼ばれた部屋がなかなかわからない。誰かが付いていくとなれば人手がかかる。そういういろいろな都合がございまして、そういう人々を職場から閉め出すということがございました。

 それに対してその人々が団結して、何とか働く場をと、訴える運動をされておられました。マッサージや鍼灸の世界は、ある意味では徒弟制度的な親方が今でもおられて、その親方に従って仕事に就くわけです。ですからその親方に背きますと、全国のマッサージの親方のところに回状が回るわけですね。これこれの者は、こういう人間だ。だから、もし仕事を求めてきても雇わないように。こういった回状が回りますから全く閉め出されてしまうわけですね。それを覚悟でその人たちは、歩みを起こしたわけですが、そういう中でいろんなことの話し合いがございました。

 その中のメンバーの一人に在日韓国の方で、しかもどういう病気なのか具体的にはわからないのですけれども、その家族の女系ですね、女の方にばかり出る病気で、失明してしまう。そういう病気に遺伝的に代々かかって苦しんでおられる。そういう家庭の娘さん、娘さんといっても、その時、もうだいぶんとお歳でございましたが……。そのお母さんもまったく目が不自由でした。そのお母さんを抱えながら、やはり目の不自由なその人がマッサージや鍼や、そういうことでお母さんを抱えて生活をしておられる。それで、その生きておられる間、本当に大変だったわけでございますね。お母さんの面倒も見なければならない。自分が何かしたいと思っても、お母さん一人を置いていくわけにはいかない。いつも自分を縛り付けている。それこそ「やっかいな人」と、その方も折りにはそういうことを感じられたこともあったようでございます。

 ところが、そのお母さんが病気で亡くなり、そして葬儀などを済ませまして一段落した時に、少しお話ししたことがあるんです。その時にその方がですね、このようにおっしゃったのです。自分一人のためなら、こんな辛い人生はもうごめんだと。もう死にたいと。そういうことを訴えられました。そして生きている間は、母親が本当に自分にとって耐え難い荷物だと思っていたけれども、死なれてみて初めてわかったと。自分はお母さんに支えられて生きていたのだ。お母さんがいらっしゃったからこそ、メソメソもしておられない。何とか生活を開いていかなければならないと、お母さんの存在が私に勇気を与え、お母さんの存在が私を歩かせてくれていたのだ。しかしその時には、そのことが少しもわからないで、このお母さんさえいなければ、どんなに自分は思いどおりの生活が出来るだろうなと、そんなことばかり思っておったと。そのことを亡くなって一ヶ月ばかり経ったその間に、しみじみと思い返されたのでございましょう。自分一人のためだけならば、もうこんな辛い人生はとても生きていく勇気は出てこない。もうごめんだと。そういうことを訴えられました。

 その方はその後、盲導犬に恵まれて、その盲導犬との心のつながりの中で、次第に元気を取り戻していかれました。つながりというものは、実はつながりを切っても私は私だと言っておれるようなそういうつながりなら、これはその場限りのつながりでございます。だけれども私たち人間は、このいのちの事実として限りないつながりを恵まれている。

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Last modified : 2014/01/27 22:50 by 第12組・澤田見