6 共命鳥

 そして、そのことを経典の上では、『阿弥陀経』には、「共命鳥(ぐみょうちょう)」という鳥の名で説かれてございます。御浄土には、いろんな鳥が住んでいる。そしてそれぞれが、その鳴き声において法を語っている。その鳥の中に、命を共にしている鳥、そういう共命鳥という名で説かれている鳥がございます。

 その鳥は双頭一身、胴体が一つで頭が二つという鳥だと説かれているのです。頭が二つということは、思いが二つあるわけでございます。そしてその思いはいつも別々なのでございます。左側の頭が水を飲みに行こうと思うと、右の頭がエサの方に走ろうとする。自分が木の枝に止まろうとすると、右の頭が地面の虫を追いかける。いつも考えることが食い違うものですから、お互いに邪魔されあうわけです。それで、もしこの右側の頭がいなかったら、そうしたら私は自分の思い通りの生き方が出来るはずだ。そうなったらどんなに楽しいだろうと、共命鳥はそう思って、とうとう右側の頭をつつき殺してしまったのですね。

 それで右側の頭が死んでガクンとなって、さあこれでこれからは頭は一つ、思いは一つと、自分の思いのままに自由に生きていける。これからはどんなに楽しい生活が出来るだろうと思うわけですが、胴体は一つでございますね。突かれて死んでしまった頭は、次第に腐っていくわけでございます。それはやがて胴体をも腐らせていく。そうしたら、その左側の頭も胴体につながって生きているわけですから、胴体が腐ってきたら、結局自分自身もいのちを失ってしまう。自由を取り戻そうとして、邪魔になるものを突き殺して、さあこれで……と思っていたら実は自分自身のいのちを失うことになった。

 つまり、つながり。そこに押さえられておりますつながり。それは、そういう一つのいのちを共に生きているのだと、そういうことを教えられてくるわけでございます。

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Last modified : 2014/01/27 22:50 by 第12組・澤田見