10 いのちの願い

 思いは決して私の本当の心を表すものではない。そうではなくて、思いが本当に行き詰まってどうにもならなくなった時、そこから出てくる叫び。そういう叫びとなってほとばしるような、いのちの願いでございます。それはいのち自身が持っている願い。頭でそれぞれの状況の中で作り上げた願いではない。そうではなくて、いのちそのものが抱えている願い。そういうものを聞き取り、そしてそういうものを私どもに伝えてくださったのが、実は本願の教えということでございます。

 本願というのは、いのちが持っている、いのち本来の願いであり、いのちの根本の願いでございます。それは、私どもが自分の理性を頼みにしている間、気づくことのない願いでございます。だけれどもひとたび自分の思いの届かない、いのちの深みに立たされた時、私に先立って、念仏とともにそういう人生の事実を生きてくださった人々の、その歴史が私を受け止め、私の中のいのちそのものの願いを呼びさまさしてくださる。そういうことがそこにはあるわけでございましょう。

「わかったことにしていませんか? 私のこと」、そして「つながりを生きる」というテーマがあげられました。これはまさに今、私どもが本当に考えなければならない問題だと思います。ある意味で、今この時を失いますならば、もはや取り返しのつかない状態に人間は陥るのではないかとさえ思います。今も人間としての自然がどんどん崩れておりますから、もしこのままで突き進みますならば、私どもは人間であることを失うと、そういうことにもあるかと思います。その意味で、今回のこのテーマというものを私は非常に大事なテーマとして、改めて考えさせてもらったことでございました。

 大変まとまりのないことを申し上げましたが、これをもって今回のご縁をお許しいただきたいと思います。ありがとうございました。

2004年4月10日/第35回大阪教区同朋大会・午後の部講演

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Last modified : 2014/01/27 23:01 by 第12組・澤田見