7 思い

 ご存じのように、高史明(コ・サミョン)先生の息子さんの岡真史(おか・まさふみ)君ですね。12歳で自らいのちを絶たれた。その岡少年が残された詩の一つに「自分」という詩が残されているわけでございますが、その「自分」という詩に、人の脳はよくわかる。人の考えていることはよくわかる。しかし自分の脳は少しもわからないということを書いておられます。

 周りの人に対しては「ああだこうだ」といろいろ言える。批判も言える。だけれども肝心の自分自身は、一向にハッキリしてこない。いったい自分はどう考えているのか。どうすれば満足するのか。結局自分の脳の方がわからないということを詩っておりますが、まさにそういうことですね、決してその岡少年だけの特別な思いというよりは、ある意味で人間みんなそういう思いを抱えて生きているのではないかと、そういうことを思いました。

 そして、その自分というものを私どもが、思いのところだけで生き始めますと、思いの行き詰まりはそのまま人生の行き詰まりになってしまいます。思いは必ず行き詰まるのですね。この世の中、私の思いで作った世界ではございませんから、その私の思いで作った世界でないこの人生を、自分の思いで生きようとしたら必ず行き詰まる。その行き詰まった時にそれでもうすべて終わりと、思いが行き詰まったことがそのままいのちの、人生の終わり。そういうことになってしまう。だけれども思いなんてものは、もう一ついえば理性なんてものは、いのちのほんの一部分なのですね。私どもは理性こそ大切と思って、理性の限りを尽くして生きてきております。またその力で今日の文化を築いてまいりました。

 だけれども、理性というものがいのちの表面的な、ほんの一部のはたらきだということを私は17年前に死にました母親から教えられました。私の母親は、いわゆる老人性痴呆症でした。ほんとにあの3年余りは、それこそ体験なさった方でないとわからない苦しみでございました。

Pocket

Last modified : 2014/01/27 23:01 by 第12組・澤田見