8 いのちの事実

 例えば、私の母親はちょっと目を離すと、外へ出るのです。とんでもない格好をしたままで外へ出まして、そしてトラックだろうが何であろうが、車が来たら全部止めてしまうのですね。こう立ちふさがりまして……。車が止まりますと家の方に向かって、「ほら車が来たから帰るよ」って言うのです。こっちはあわてて連れに帰るのですが。出る時はちょっと目を離したすきにパアッーと出た母親が、家に連れ帰ろうと思うと15分くらいかかるのです。それで、ちょっと引っ張ったりすると、すぐに「痛い、痛い」と言いますし。そうしますと近所の窓がパタパタと開きまして、いったい何をしているのかと、そういう眼が私たちに注いでくるわけです。

 それで、なだめて家につれて帰るのですが、「帰るというけど、どこに帰るのか」と聞きますと、母親の生まれたのは東京の王子でございます。「そりゃ、王子に帰るんだ」と言います。それでたまたま母親の弟で、私どもが「藤ちゃん、藤ちゃん」という愛称で呼んでおった叔父が見舞いに来ておりまして、その叔父が「王子って言っても、もう家もないし、誰も住んでないよ」と、こういうことを言いました。そうしましたら「いやあ藤ちゃんが待っている」と言うのです。それで叔父の藤ちゃんは、「僕はここにいるじゃないか」と言いましたら、「そんな大きな藤ちゃんとは違う」と。つまり3歳以前に戻るんですかね。そして、次から次へと出てくる名前は全部私たちのまったく知らない名前なのです。ただ、藤ちゃんという叔父に聞きますと、そういえば小さい時にそんな子が近所にいたな、と。つまり3歳以前にかえると、医者が教えてくれました。

 つまり私どもは、理性で自分の人生を築いてきたと思っているのですが、その理性で築いてきた自分の人生、それがスポーンと消えてしまうのですよ。自分が産んだ子どもまで、名前から存在から、まったく消えているのです。最後は、施設にお願いしたのですけれども、母に会いに行きますと、私がわからないわけですよ。食い違った話ばかりしているのです。それで、「ともかく明日、また来るから帰るよ」と言いますと、母親が「ねえや」と呼ぶのです。看護士のことを「ねえや」と呼ぶのです。子どものころには家に女中さんがいてくださいまして、京都ですから「ねえや」と言っておりまして、私なんかは「ねえや」に育ててもらいました。あの頃は、お寺はどうなっていたのですかねえ。それで母親が、「ねえや、先生がお帰りよ」と、こう言うのですよ。自分の息子に向かってですよ。そうしたら看護士さんが、「よっぽど生まれがいいのですか」と聞かれるのです。そういうことがございました。

 そういうふうに、理性の限りを尽くして、ああでもあろうか、こうすればいいかと、本当に一所懸命に築いてきたその人生がスポーンと消えて、3歳以前にかえる。どういうことなのだろうと。そして、いわゆる夢遊病のようにしてフラフラと歩きます。フラフラ歩くその方向は、必ず生まれた土地の方向に向くのだそうでございます。何か私どもは理性こそが私だと思っているのですが、いのちの事実は理性よりもっと深い営み、歴史を持って生きている。決して理性で私を包むわけにはいかない。理性はどこまでも私の一部分でありますし、一面でございます。そういうものでは尽くせないいのちの深さ、いのちのつながりを私どもはこの身にいただいている。昔の私どもの先祖は、決してそういう理性をもって物事を決めつけて図ってということではなくて、どこまでもいのちの事実に頭をさげて生きていかれた。まさに「お迎えくすべ」という言葉は、その一つでございましょう。

 身の事実、いのちの事実というものに本当に頭をさげて、しっかりとその事実を受け止めて、そしてその事実を力の限り生きていく。そういう人生を私どものご先祖、人々は生きておられた。それが今日、私どもは理性こそがということで、理性で割り切る。納得がいくか、いかないか。それが何よりの物差しになってしまう。私どもが期待する、しないを超えた、いのちの深く重いことがわからなくなってきている。

 よく親鸞聖人は「深重(じんじゅう)」という言葉をお使いでございます。この深重というのは、その事実の前では頭を下げるほかない、その事実に頭を下げその事実を受けて生きていくほかはない。そういう事柄として、その人生を生きられました。私どもはそれを理性で処理しようとしている。深重というものを感ずる感覚を失ってまいりました。いつ知らず、自己中心、人間中心にすべてを計る傲慢さというものを、人間が持ってしまった。

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Last modified : 2014/01/27 23:01 by 第12組・澤田見