9 圏外孤独

 文化が発達したと、こう申します。文化が発達するということは、便利になるということですよね。生活、社会が便利になる。私どもも非常にその便利さの恩恵を受けております。ですから、頭からそれを否定するわけにはまいりません。けれども、よくよく心得ておくべきことは、便利だということは、人と人の間に機械が入り込んでくるということですね。今までは困っている人を周りの人が助ける。困っている人がそういう意味では、迷惑を周りにかけながら、だからこそ「おかげで」、「おかげで」と生きていかれた。周りの人も助けることをとおして、自分自身、やはりいのちの限りあることを身に感じながら生きておられた。

 だけれども今は、全部機械がしてくれる。そして機械をとおしてしか、人と会えなくなってきている。それこそ今の学生や若い人たちは、本当にメール、メールでございますね。これも朝日新聞に「食卓を囲んで」でしたか、何か連載の特集がございました。その最初に書かれておりましたのが、食事中に娘がメールばかりを見る。食事をせっかく作ってもらったけれど、ごちそうに目を向けることがない。いつも目は、画面の方に向いている。片手で食べている。親も年中メールをしているものだから、怒るわけにもいかない。そういう食卓風景を最初に取り上げてございました。

 そういう便利な機械でいつでも話が出来る。その意味では、ありがたいことなのでしょう。けれども、そこでは本当の全身的な人間のぶつかり合いは出来なくなってきている。友だちといいましても、今の若い子どもたちは、非常に心優しい者ばかりでございまして、相手の嫌がるようなことは決して言わないのですね。

 私どもの子どもの頃といったら、それこそ泥をなすりつけるような、批判のやり合いをいたしましたし、時には取っ組み合いもしました。しかしその中で、いのちのふれ合いを感じてきた。けれども今の若い人たちは、そんな相手を傷つけるようなことはしない。結局、情報交換でございますね。お互いに情報交換はいつもしているのだけれども、本当の出会いというものは、だんだん出来なくなってきている。

 そして、ひとたびメールが届かないところに入ってしまうと、孤独ですね。ジャーナリストは上手な言葉を作りますね。昔は「天涯孤独」と申しましたが、今は「圏外孤独」というのだそうです。メールの届かない圏外ですね。もうその圏外が怖くて仕方がないそうです。これもテレビで実験していましたが、30分が限度だというのです。そのメールが届くと安心していられる。だけどメールが一切通じない、そういうところに行くと非常に怖い。それを圏外孤独というのだそうです。

 何かそういう人間がどんどん全身性を失ってきている。だけれども、私どもはそういうこの身に受けているいのちは、限りないつながりの中に賜っているいのちでございます。私がつながりを生きているのではございません。つながりを私として生きていくということ。つながりのほかに私のいのちの内容はないのでございますね。

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Last modified : 2014/01/27 23:01 by 第12組・澤田見