問い

真宗では報恩講というものが大切な行事のようにいわれるようですが、報恩講とは何ですか。なぜ大切なのですか。

答え

 「報恩講」とは、宗祖親鸞聖人の御命日を記念して勤める聞法・念仏の集会(しゅうえ)です。「報恩」という名のように、親鸞聖人の教えに遇って、生まれた意義と生きる喜びを見出した人びとが、親鸞聖人の御苦労と御恩に報いずにおれない気持ちから厳修(ごんしゅう)される仏事です。

 聖人は弘長2(1262)年11月28日(陰暦)に90歳で亡くなられました。
 真宗大谷派(東本願寺)では、太陽暦の日に合わせて、毎年11月28日を御満座(ごまんざ)として七昼夜、つまり11月21日午後から始まって28日まで、つごう8日間にわたり勤まります。
 西本願寺では、聖人の亡くなられた日を太陽暦に換算して、1月16日を御満座として七昼夜勤められ、俗にお七夜(ひちや)と言われています。

 親鸞聖人ご自身は、師法然上人の御命日(25日)に聞法・念仏の集いをもたれていたようです。
 親鸞聖人のなくなられた後、お弟子方がお徳を偲んで聖人の御命日に集会を持つようになり、3代目の覚如上人が「報恩講式」を作られ形式が整えられました。当時の大谷本廟では、「御報恩念仏会(ごほうおんねんぶつえ)」といって七昼夜の法要が勤まっていました。

 数百年の歴史をくぐって今日に至るまで毎年欠かさず、御本山の報恩講を中心にして、地方の真宗の各寺院において、さらには門徒の各家においても一年間の最も重要な法要として厳修されてきています。

 このように、親鸞聖人の教えに遇うことによって、生きることの深い感動と意欲を見出した人びとが、如来・聖人の御恩に報いる気持ちで集う法会が報恩講であり、それはまた、自分の子や孫たち、友人にも聖人の教えに遇っていただき、せっかく人間に生まれた意義と喜びに目覚めてほしいという切なる願いの表現でもあるわけです。

 「念仏申さんと思いたつ心の起こるとき、すなわち人間の生活が始まる」
 これは96年の生涯を、親鸞聖人の教えと共に生きられた金子大栄師の言葉です。
 人間として生まれ、人間として生きているつもりの私たちではありますが、はたして人間であることに深い感動と謝念を持って、真に人間らしく生きているでしょうか。
 ぜひ、毎年の報恩講には努めて足を運び、心静かに聖人の教えに耳を傾けていきたいものです。

(本多惠/教化センター通信 No.28)

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Last modified : 2015/02/22 23:35 by 第0組・澤田見(ホームページ部)