問い

私は、寺の総代(そうだい)と神社の氏子総代(うじこそうだい)の両方の役をしていますが、真宗門徒としてはどうしたらよいでしょうか。

答え

 真宗門徒であるならば、本来は寺の総代だけにして、神社の総代は辞退すべきでしょう。しかし、地域の慣習や付き合い上、実際にはそう簡単にはいかない問題があることはよくわかります。特に田舎で一村に一神社である場合などは深刻です。

 明治の初め、政府が廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)と言う仏教弾圧政策を行い、神道(しんとう)を国教化しようとしました。この時多くの仏教寺院が弾圧され廃寺(はいじ)にさせられました。その時に全国民が近隣の神社の氏子にさせられたわけです。この様な政治的意図によって、現在真宗門徒でありながらもどこかの神社の氏子であるという問題があるわけです。

 ある寺の住職さんも、この問題に非常に悩まれました。その寺の所属する町の神社は、町内会で維持されていたそうで、毎月の町内会費の中に神社の運営費も組み込まれていたのですが、これは黙認していたそうです。町内のお付き合いを大切にされたからです。

 ところが、神社の奥殿(おくでん)が改装されるということになって、そのお寺にも七千円の寄附(きふ)が割り当てられたのだそうです。住職さんはよくよく考えられた末、はっきりといわれたそうです。

「私は真宗の寺の住職です。真宗は阿弥陀一仏に帰依(きえ)する教えです。神さんを認めないとか軽蔑するとかの気持ちはありませんが、阿弥陀仏に帰依する上は、神さんを頼む必要性がないのです。むしろ、神さまと阿弥陀さまの両方を立てることは、二人の妻と同居するようで私の気持ちが許しません」と、町会長さんに言われたところ、会長さんも納得されたそうです。しかし寄附はお断りしたものの、住職さんもあれこれ考えられたあげく、再度「私は神社に寄附する訳にはいきませんが、町内の方々にはお世話になりますので、町会の会合の時のお茶菓子の足しにして下さい」と、一万円を包んで渡されたそうです。

 町内の方々と何度も話し合う内に、町会長さんはじめ町内の有志の方々も時折お寺にお参りに来て法話にも耳を傾けられるようになったとのことです。

 自分は何を依(よ)り所として生きているかという「帰依」を明確にすることが大切であります。お付き合いや種々の事情で、神社との関係を今すぐ断つことはできなくとも、「阿弥陀仏に帰依する上は、神を帰依とはしない」ということがはっきりすれば、おのずから自分の取るべき態度も自然に決定してくるのではないでしょうか。

(本多惠/教化センター通信 No.40)

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Last modified : 2014/12/09 6:16 by 第12組・澤田見(ホームページ部)