問い

真宗では、生存中なるべく早いうちに「おかみそり (帰敬式(ききょうしき))」を受けるように勧められますが、なぜ「おかみそり」を受けるのですか。

答え

 「おかみそり」とは、髪の毛を剃るという意味で、仏教で本来出家して仏門に入ることを意味します。お釈迦さまが二十九歳の時、俗世間の生活を捨てて剃髪(ていはつ)をして出家されたことに由来するものです。それ以来、インド・中国・日本と伝わって、仏道に入る時、仏弟子となった証として剃髪することが伝統されてきたのです。

 しかし真宗は在家(ざいけ)仏教といわれるように、俗世間の生活を捨てる出家というような形は取りません。ありのままの人間生活を大切にしつつ、その中で仏法を聞き開いてゆく道です。したがって実際に剃髪をして出家をするという形をとらないけれども、仏弟子として生きる決意を表す儀式として真宗本廟(ほんびょう)において「帰敬式」を受けます。その帰敬式に、形だけ頭に剃刀を当てるので「おかみそり」と言うのです。それは、普通の生活の中にただ欲望に流され俗世間に埋没して生きるのではなく、仏法僧の三宝を敬い、お釈迦さまのように仏教精神に生きる私になりますという意志表示を意味します。

 帰敬式を受けますと、「法名」が与えられます。法名は釈尊が説かれた経典の中の文字が使われるのが原則です。経典には釈尊の願いが教えとして説かれています。その釈尊の願いに生き、釈尊のお弟子になりますという意味で「釈○○」という法名が名づけられるわけです。

 その意味で、一日も早く真実なる教えを聞き、真実なる願いに目覚めて生きたいものです。しかし、生存中に帰敬式を受けられず、死ぬまで法名を名のらずに終わった人には、せめて亡くなった時に「おかみそり」をして仏弟子となっていただき、法名が授けられるのです。

 しかし、せっかく人間として生まれてきたのですから、早く真実なる教えに帰依(きえ)して生きる決意としての「おかみそり」を受けていただきたいものです。もちろん「おかみそり」を受けなくても、仏弟子として生きることはできます。でもこの世の中には、結婚式をはじめとして儀式を通して決意を新たにし、確認をするというところに大切な意味があります。

 思い立ったのが吉日です。一日も早く名実ともに仏道に生きる真宗門徒となり、悔いのない人生を歩むために、手次の住職さんとご相談なさって「おかみそり」を受けられることをお勧めします。

(本多惠/教化センター通信 No54)

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Last modified : 2015/03/02 18:15 by 第0組・澤田見(ホームページ部)