問い

結婚式は神前で、ということが一般的なようですが、仏前でも結婚式ができるのですか。それはどのようなものですか。

答え

 人生には重大な節目がいくつかあります。その中でも結婚式は、当事者はもちろん対外的にも大切な意味を持つ儀式ですので慎重に考えるべきでしょう。
 仏教徒であれば、すべての生活を仏の教えに則して行うのが当然です。子供が生まれれば初参りや七五三参りは神社へ、結婚式はキリスト教会か神式で、最後に葬式は仏式でというふうです。これは、人間の歩みとして本来おかしいことであり、生活の根拠に関わる重大な問題です。

 仏教徒、とりわけ真宗門徒であれば、人生における重大儀式(誕生・成人・帰敬(ききょう)・結婚・入寂(にゅうじゃく)」は、当然仏前で行われるべきであります。なぜなれば、それらは人間が人間を成就してゆく成仏道(じょうぶつどう)であるからです。

 結婚は不思議のご縁で二人が結ばれ、生涯を共に生きることによって真の人間に成って行こうと決断する大切な儀式です。その意味を仏様の前で確認し、「共に生きる」新しい人生の出発とする節目です。「真の愛情とは、お互いに見つめ合うことではない。同じ方向に向かい合うことである」と教えられています。同じ方向とは、真に人間を完成成就する「往生極楽」の道を歩むことです。

 真宗の教えは、私たちをして真に人間に目覚ましめ、「満足大悲(まんぞくだいひ)」の真の人となってゆく道に立たしめるものです。教えに遇ってはじめて人間に生まれたことの意義に目覚め、生きることの喜びを知り(満足)、さらに人生の伴侶を得て共々に真実の教えを聞きつつこのスバラシイ生命を讃え合い、深め合い、人生に限りない大切な意義と喜びを共感しあってゆくこと(大悲)が結婚の意味ではないでしょうか。

 仏前結婚式は、手次ぎのお寺か、近くの別院等で行われており、「荘厳な感じで良い」と好評であります。具体的なことは住職さんにご相談されるとよいと思いますが、大体の内容は、仏前での簡単な結婚の勤行(ごんぎょう)、仏弟子として共々に聞法(もんぽう)を中心に生きる決意の表明、三三九度の盃、お念珠の交換、最後に司婚者(住職)の法話でしめくくるのが基本です。

 「初心つねに真を見る」と言われますように新しい「共なる人生」の門出であります。単なる形だけの慣習で終わらず、人生の歩みの大切な意味を確認し合う厳粛な儀式となるよう是非仏前結婚をお勧めいたします。

(本多惠/教化センター通信No.55)

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Last modified : 2015/02/22 23:40 by 第0組・澤田見(ホームページ部)