問い

仏さまとはどんな人ですか。お釈迦さまと阿弥陀さまとはどう違うのですか。

答え

 仏教では仏さまについて、「仏の三身(さんしん)」ということを教えます。「法身仏(ほっしんぶつ)」と「報身仏(ほうじんぶつ)」と「応身仏(おうじんぶつ)」の三身です。

 「法身仏」とは「法性法身(ほうしょうほっしん)」とも言われ、色も形もない、形相を超えた真如(しんにょ)そのものとしての仏さまです。姿形のない、言葉にもならない真如そのものを人間が知ることはできません。

 そこで「報身仏」としての仏さまが教えられるのです。曽我量深(そが・りょうじん)先生は「仏さまとはどんな人であるか」と自問し、「我は南無阿弥陀仏であると名のっておいでになります」と自答しておられます。「報身仏」とは報いて現れた仏という意味で、人間の思いを超えた深い願い、本願に報いて現れた仏ということで、阿弥陀仏を指します。阿弥陀仏は、本願に報いて、形の無い世界から形を現し、「南無阿弥陀仏」と名のり出て一切衆生(いっさいしゅじょう)を救おうと働かれる報身仏の仏さまです。

 「応身仏」とは、人間に応じて現れた仏、具体的に人間の姿形をした仏さまで、お釈迦さま(釈迦牟尼如来)で代表される仏身です。

 人間はもちろんのこと、一切衆生(生きとし生けるもの)、さらには世に存在する全てのものは、真如の道理の中にかけがえのない存在意味を持って生きているのです。しかしその存在意味がはっきりしないままに喜怒哀楽して、最期は空しい思いで終わっていくのが人間であります。

 その人間の空しさ、苦悩に答えてお釈迦さまはこの世に誕生され、人間の言葉で人類始まって以来初めて阿弥陀仏の本願を説いてくださったのです。お釈迦さまが阿弥陀仏の本願を説いてくださらなかったならば、私たちはほんとうに意義ある生活はできなかったでしょう。

 そういう意味で、お釈迦さまを教主(きょうしゅ)、阿弥陀さまを救主(きゅうしゅ)といってお敬いするのです。お釈迦さまは阿弥陀仏の本願(お意(こころ))を聞けと勧めてくださる教え主であり、阿弥陀仏の本願の中に生かされていることにほんとうにうなずくとき、私たちは救われるのです。

 親鸞聖人は法然上人との出遇いを、「曠劫多生(こうごうたしょう)のあいだにも 出離(しゅつり)の強縁(ごうえん)知らざりき 本師源空いまさずば このたびむなしくすぎなまし」と述懐しておられます。法然上人の仰せを聞くことによって、お釈迦さまは阿弥陀仏の本願を説くためにこの人間界に生まれられ、その本願に遇って初めて空しくない人生に目覚められたと喜ばれているのであります。

(本多惠/教化センター通信No.70)

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Last modified : 2015/02/11 23:16 by 第0組・澤田見(ホームページ部)