問い

毎日「正信偈(しょうしんげ)」をおつとめしていますが、意味が分かりません。大体どのようなことが書いてあるのですか。

答え

 「正信偈」は親鸞聖人の主著『教行信証』の「行巻(ぎょうのまき)」の終わりに書かれてある偈文(げもん)で、正確には「正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)」といいます。内容はお経に依ってお念仏のいわれを述べた「依経分(えきょうぶん)」と、七人の祖師様のご解釈に依ってお念仏の心を明らかにした「依釈分(えしゃくぶん)」との二段からなっています。

 「依経分」は『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』の根本精神である本願念仏の道理とその救いが述べられ、浄土真宗の内容が示されています。「依釈分」はインド・中国・日本を通して、七人の高僧方が本願念仏の教えを正しくご解釈してくださった伝統が述べられています。七高僧とは、インドの龍樹(りゅうじゅ)・天親(てんじん)、中国の曇鸞(どんらん)・道綽(どうしゃく)・善導(ぜんどう)、日本の源信(げんしん)・源空(げんくう=法然)の七人で、その方々の伝記と行跡が簡潔に述べられているのです。

 「正信念仏偈」という名が語っているように、本願の念仏を正しく信じた人々の生きざまが「偈(歌)」として表現されています。歌は感動の表現です。親鸞聖人ご自身が念仏の伝統に浴された感動を、実に格調高い漢詩の形で歌われた、いわば「生命(いのち)の讃歌(うた)」です。

 あたかも大地の底に流れる地下水が、時として泉になって湧き出るように、人類の底に脈々として流れていた本願の生命が、七百有余年前に親鸞聖人をまって、念仏となって地表に現れ出た、これこそが正信念仏の偈だと言えましょう。

 生命の讃歌ともいえる「正信偈」は、世界人類の視野から見ればささやかな流れではあっても、親鸞聖人以来、その時代その時代の人々に真の安らぎと、底知れぬ生きる勇気を喚(よ)び起こし続けてきたのです。それはまた、人の世の悲喜哀感をことごとく摂(おさ)め包んで、世の人々に「生まれた意義と生きる喜び」を実感せしめずにはおかなかったのです。

 「帰命無量寿如来、南無不可思議光」と歌い出される「生命の讃歌」は、人に生まれて、本願の念仏に遇い、はかりなき「いのち」と「ひかり」に目覚め、その真ただ中を明るく生き生きと生かさせていただきますという、人間に生まれてあったことの真の喜びと謝念の表白として、人々の口から口へ、心から心へ、そして生命から生命へと間断なく受け継がれてきました。

 今を生きる私たちもまた、このお念仏の感動の流れの中に身を置き、生命あることのスバラシサをかみしめ、友や後輩に、子や孫に、その感動を伝えていこうではありませんか。

(本多惠/教化センター通信No.71)

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Last modified : 2015/02/15 21:08 by 第0組・澤田見(ホームページ部)